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牝犬のSNのレビュー・感想・評価

牝犬(1931年製作の映画)
4.3
モーリス・ルグランは(ミシェルシモン)憂鬱だ。仕事は退屈この上なく、家に帰っても口喧しい妻がいる。だが幸運なことに彼には絵画の心得があった。キャンバスに向かう時だけは、自分を取り囲むあらゆる煩わしさから解放されるのだ。そんなある晩、帰宅途中のルグランは、デデという男に打たれる可憐な女性リュリュに出会ってしまう。
「今から皆さんがご覧になるこの作品は、悲劇でも喜劇でもない。この作品にはいかなる道徳的な目論みもなく、何かを証明するということもない。登場人物たちは英雄でもなければ、慇懃な裏切り者でもない。彼らは、私やあなた方のように、かわいそうな人々なのだ。主要人物は三人。彼女、彼、そして他人。いつものように。」
ルノワールの2本目の作品。まるでギトリの「いかさま師」や「毒女」のように、マリオネット劇のギニョールがこの作品全体への弁明をする。我々は、子供たちが息を呑み、目を凝らしながら幕が上がるのを待つかのように、ミシェルシモンの登場を心待ちにする。ギニョールは続ける。「「彼」は善良な男で、そんなに若くはなく、そして極めてお人好し。教養的で感傷的な文化というものは、彼が生きる環境の上で展開されている。そのために、この世界では、彼は愚か者であるかのように映る。「彼女」は、まだ若く魅力的で品のない性格である。彼女は常に正直で、常に嘘をついている。「他人」は直情的なデデである。ただそれだけ」そして、ついに幕が上がる。
のちに政治(コミュニズム)へとコミットしていくルノワールだが、この作品においても、署名をしない画家というモチーフがすでにその色を感じさせる。そして、アンドレバザンが「自分がそうであるということを知らない職人」と称した「かわいそうな人々」の一人であるルグランは、その凡庸さで以ってして小市民のモデルを担うことになる。そして、ルグランは「自分がそうであることを望まなかった殺人鬼」と付け加えるのだが。
といった具合に、横糸の間にいくつもの政治的配慮がなされた縦糸の絡まる作品ではあるが、シンプルな筋立てと意外な結末で楽しめる。特に、絵画を中心にして繰り広げられる紛擾がとても面白く、ああここでマネのオランピアか、とか、ああこれルノワールの親父の絵じゃん、とかいった楽しみ方もできる。
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