ニューランド

秘密調査員/秘密捜査官のニューランドのレビュー・感想・評価

秘密調査員/秘密捜査官(1949年製作の映画)
4.2
☑️『秘密捜査官』及び『拳銃魔』『望みなき捜索』▶️▶️
悪を異次元に突き抜けて行くにしても、それを潰してその醜さを顕にするにしても、この時期のアメリカ映画には、(逆説的にもなるが)一定の爽快感·納得度合い感得(カタルシス)がつきものだが、これは序~中盤と画質がいまひとつ、という事もあるがどんなにハイかシミジミなレベルもそれが素直に感じられなくて、深く押さえ込まれたかんじで、主人公の顔も終始悪相の感じで取っつきにくく、内容的にも地味でじわじわとしか、映画ストーリー·展開の快適や逆転の妙は来ない。求められる痛快さがなく、ラング+コッポラを地味にしたような確かだが乗り切れない、あるまじき本格派というところ、か。しかし快感·快消化の求めを放棄すれば、密度·純度·テーマ·視覚、映画の力のあらゆるポイントを高く充たし、映画の快楽を突き破った、映画を超えた真の傑作と云うのが、気張らず聳えているだろう。
財務省下の脱税部門の捜査官。予算的にも地味に隅に追いやられ、職務としては銃を放つこともなく、「僕は単なる帳簿係」と云いながら、ケースによっては無制限となる·恐れを知らず、数字の固め·証拠収集に専念してゆく(書類の筆跡の絞りかたと、その別件による集め方)。現在の捜査対象は、社会的に悪の寧ろヒーローとしてもてはやされている、口封じや証拠資料の分散に長けて、実態恐怖·暴力の統制力の、(当時の金で)300万ドル脱税の暗黒街の親分。妻に危険が及ぶを周到に避ける処置をし、呼応して使命も感じて動く情報屋らの命が証拠引渡し前に奪われ、悪に口をつぐむ見ざるが社会の空気に蔓延し、人の行動を規制してるのに風穴を開けんともする、巾広く·また的を絞っての堅めを迷わず進めてゆくが、自らの危険はともかく·それがどこまでも家族に及ぶ脅威の無制限を考え·一時は辞職も真剣に考える。そこで、情報屋の遺族の、シチリアのマフィアから逃げてきて、アメリカで得た筈の自由への再裏切りへの·強い自戒と立上がりの顕しを得て、国を治める末端の立場よりも、持家も得た見掛けに反す、同じ精神を縛り付けられたままの底辺の現在位置を思い知る。考えられない高収入を得てる、完全に一体化し相互に膨れ上がるよう結託した巨大悪が担当依頼の弁護士の隙·小心に目をつけ的を絞り、召喚のピンチを突き付け、彼が差配し·一手に纏めてる帳簿を、依頼主の親分は守るも、その他幹部を売ろうとするを引き出す。彼は消されるも、帳簿と共に渡された、裁判所陪審員買収の資料から、全入替えを裁判長にやらせ、親分を有罪·長期間収監に送り込む。
リアルで堅固な画調、狭さと広さが入れ替わり圧迫してくる空間で、縦の図·仰俯瞰め·行き着かぬ移動·寄り入れ·隣接異室ズレ·(一気締める)90°変で、強靭かつ日常の圧迫を呼吸してくカドラージュとデクパージュ。陰影ある人物のストーリー以上の、本質的焦り·苛立ち·不安の(CUや仰角·強い端部)表情ら。2人に股がる不安(同時に信頼感)は長いOLで現される。
冒頭の悪の大物の列車乗降の人混みと主人公夫婦の狭い隙間歩きのどんでん·90°変切替の切れと密度(事件後のラストシーン·タッチが呼応)。微細に記録コマ速度を変えながらより浮かび上がらせてるのか、デジタル化しての誤操作か、分からない所あるが。街路の市並びを逃げ·追い射つどんでん·俯瞰のかなりの繋なげは『ゴッド·ファーザー』に先駆ける市井内の緊迫と日常の伸縮延び。車中描写は安定したスクリーン·プロセスを主調としてるようで、路上の主人公と弁護士を車から追い·射ちと衝突は、出入りないからそのままでいいようながら、一体現地実写のクリアさとタイミングが、簡潔なカット内·間にある。不可思議で、全てに簡潔·現実的の重さと怖さをそこから滲ませるタッチは、映画を超えて映画の内実を表しきっている。
---------------------------------------------------
それや少し後の『拳銃魔』。ルイスは、’50年前後、ロッセリーニ·パウエル·フォード·小津·ベッケル·ルノワールらと並び世界映画の頂上にあった気がする。本国で業界を引っ張るワイラー·ワイルダー·ミネリ·マンキウィッツらさえ上回り。
最高作『拳銃魔』が、車外はスクリーンプロセスかと思うと、中から降りて出て助け、また2人で入り、スタートし、そのまま移動、かなり後に降りて他の車に乗り換える迄ロケワンカットと知らされる等当たり前に、の規格外カットら。かと思うとラスト長い草むらと立ち込め白い霧の中の、(オフの)銃撃·命中からカメラ上がってくを1セットで描きわけてる(冒頭の雨の夜の街角での金物屋?からの銃盗みも類似)。対象への極端な二極化処理は、全体での、複合的強靭かつ柔軟若々しい作家タッチとして、『秘密捜査官』とまた別の世界の可能性へ。カット組立て細部も、(大)CUとその(90°変も多用)切返し·都度寄ってく縦移動のカメラ(フォローや横へも)、次々DIS繋ぎ多めに対し、『秘密~』は、CUや縦移動限定で、WIPEつなぎの方が主。V·ヤングの感傷的音楽の中、拳銃に対しフェチを超えて分身化した青年が、同時に小動物であろうと命を奪う事への動揺的拒絶、愛する者が自分の為自分に代りそれを担ってるかも知れないことへの心痛、といった退行ダークと同時に幼く映画的なチャーミングを体現したキャラらに対し、『秘密~』は社会に於ける悪の力の影響·支配に巌と向き合ってるベースがシリアスなもの、であると同時に映画魅惑をはみ出す重みから決定的外界存在を感ず。いずれにしろ、この’50頃のルイスは一色で収まらない枠の映画の頂上を極めている。
---------------------------------------------------
そして快調続く『望みなき捜索』。山中への墜落機に乗ってた幼い兄妹捜索に、その親の飛行家同志の離婚夫婦が乗り出す。冷静で優秀な妻が親権持ってるが、心と愛を剥き出し(落ち込み酒に逃げてた)の夫(+新恋人)が、捜索成果·子の心に同期で、次第にウェイトを逆転させてく。
この’52年作は、内容·撮影共に間口が拡がり、必ずしも統一度は高くなく(最終一般的妥協も)、ノワール度は低いも、果敢に表現と世界に踏み込み、挑み素晴らしい作品だ。男女では決められぬ能力差、勝ち負け·多数派·理論·準備に比重を置くことと、時に(酒等に)逃げもするも盲目的な愛による·阿らぬ澄んだ「勘」の賭けに投じる事の崇高さとの、バランス·齟齬。ロケ実写とミニチュアやセット·スクリーンプロセス合成が絡んだ、航空機·野獣·子役の扱いの妙と限界がめまぐるしくも好ましさを与え、フォローのスピードと俯瞰Lショットや人獣絡むカットの力が突き抜ける。キャラの配置と促し合うベクトルにも、可変的未来が息づいている。
只、今の目でみると、子どもの懐きかたから最初から勝負ははっきりしてるが、子供の親権を最終的に譲る、仕事と対社会のウェイトを大きく抱えてる、前妻への理解と尊重の具合が、不充分なのは確かで、一般に守旧的なアメリカ映画だが(やはり、宗教国だからだろうか)、いつくらいから改善されてきたのだろうか。ルイスも本当はそれをやりたかったのか、美しい後妻の方が性格的には嫌らしくみえもする(色々工作を本能的習慣的に)ように描かれてはいる。
ニューランド

ニューランド