カラン

早春のカランのレビュー・感想・評価

早春(1970年製作の映画)
5.0
恵比寿のガーデンシネマで鑑賞。
初日だからなのか、お客さんがたくさんいて、嬉しくなった。








『早春』

15才の男の子が、deep end、つまり性の深みにはまる。性愛は、社会的には、恋愛の主体として、誰が誰を好きで、何故好きなのか理由を言えなければならないことになっているが、15才、年上の女、恋の熱病なのか、自分が恋の渦中にあることを、少年は知らない。そういう時、恋は凶暴になる。

ストリップ小屋から等身大の木型がついたヌードポスターを盗んできて、夜のプールで共に泳ぐ時、青い水のなかで一瞬、本物のスーのように見えて、水から顔を出すと、ポスターが折れている。このシーンと、最後にもう一度、死体になったスーとの水中の抱擁シーンは、信じ難い美しさである。穏やかな水泡と水の青の中で、少年が抱くのは、恋人のマネキンであるか、血を流す死体とは!

この映画は、モチーフが何度も反復されるのだが、予想できない結末を導く。この映画の正体は、無軌道な恋なのだ。

オープニングの原色のオイルペイントは、スーの後頭部から流れ出た血で、

折れたポスターの木型は、スーの割れた頭蓋骨で、

何度も水の中に少年は落ちるが、スーは一度たりとも抱きしめ返してはくれず、

こんな結末になるのは、警察官たちの幾度かの警告が暗示していたはずだが、

無軌道なる性愛は、少年に残酷な運命を突きつける。この非常に凶暴な恋の物語を観ていたら、『カルメン』の「ハバネラ」の有名な一節を思い出した。ハバネラは恋の無軌道さをよく描いている。

L’amour est enfant de Bohème,
恋はジプシーの申し子

Il n’a jamais, jamais connu de loi;
掟なぞ、どうして、知る由もない

Si tu ne m’aimes pas, je t’aime;
もしお前が私を好きにならないなら、私がお前を好きになる

Si je t’aime,
もし私がお前を好きになったなら、

Prends garde à toi!
せいぜい気をつけろ!





☆後記 〜少年の純潔

少年はスーと性行為をすることができたのだろうか?それとも、少年は無垢innocentのままであったのだろうか?

少年は浴場での仕事についた最初の日から、中年の狂ったような欲情によって汚されていただろう。スーが死ぬ前に、自分と他のおじさんたちはどちらが良かったか、恥ずかしいことに、尋ねていたのだから、行為は行われたのだろう。だから、少年は純潔ではない。

しかし同時に、スーとの性行為の描写が、やったのかやらなかったのか分からないような描き方がされていたが、これはスーとの性行為は、早すぎたのか、未完了なのか、うまく出来なかったのか、いずれにしても、スーと通じることはできなかったことを意味する。そして少年には、そのことすら分からない。だから、尋ねるのだ、どうだった?と。

したがって、少年はスーと、性行為を行なったし、行わなかった。

少年は汚れているし、汚れていない。

しかし、その確認をスーに取るべく、話しがしたいのだが、もはやスーは喋らない。

この出会いは少年にとって、初恋なのだろうか。初恋というのは、恐ろしい。無軌道で、滑稽で、成功したのかどうかも分からないほどに、失敗する。成功は、失敗して初めて意味を持つ。だから「甘く切ない」少年の初恋は、必ず失敗するが、恋の凶暴さが発露した時に用心を怠ると、もはやいかなる成功の布石にすることもかなわない、完全で純粋な失敗に至ることになる。とはいえ、男の子の用心の閾値を下げてしまうのが、恋の罠なのだが。