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彼奴(きやつ)は顔役だ!のKuutaのレビュー・感想・評価

彼奴(きやつ)は顔役だ!(1939年製作の映画)
4.7
「俺の酒は美味いか?」

ラオール・ウォルシュの傑作ノワール。表と裏、二つの顔を持ちながら、愛した堅気の女のために死ぬor自らの人間性を受け入れ、マイノリティとして生きようとする。こういう映画に、私はめっぽう弱い。

タクシードライバー、ゴジラ、ブギーナイツ…。無駄のない語り口やスマートな演出も相まって、今作は完全に個人的なツボに入ってしまった。

主人公のエディ(ジェームズ・キャグニー)は、初代ゴジラの芹沢博士みたいなものだ。ゴジラ未見の人には意味不明と知りつつ、ゴジラに例えてレビューする。

エディ(=平田昭彦)は、第一次大戦でアメリカに貢献したのに、復員後の就職先は無く、むしろ社会の厄介者として扱われる。行き場のない彼はアウトサイダー=異形の存在として、タクシー運転手となり、裏社会に入っていく(タクシードライバーと設定が似ている)。

異形一直線な極悪非道のギャングになってしまうのが、戦友のジョージ(ハンフリー・ボガート)だ。冒頭、15歳くらいの子を撃ち殺し「16歳にはなれないな」とせせら笑う場面は衝撃的。

逆にエディは、10代のジーン(プリシラ・レイン)と出会った時は身を引きつつ、大人になった彼女にはベタ惚れして求婚する。エディはジョージと違って、異形にも常識人にもなりきれない。どっちつかずの存在と言える。

「一石二鳥だ」と言いつつ二人を同時に殴る場面や「女にがっつきすぎるな(one thing at a timeにやろうとするな)」と話す場面から、彼が表と裏の顔を同時に果たそうとしていた事がわかる。ギャングになって密造酒を作っているのに、真面目でジーンにどこまでも一途。純粋な男である。

そんなエディを尻目に、表社会に生きるジーン(=河内桃子)は、イケメン常識人の弁護士(=宝田明)と恋に落ちる。完全にエディに感情移入していた私は、二人がキスするシーンで呻き声を上げた。エディは弁護士を一発殴り、下戸なのに飲んだくれる。

エディとジーンの再会はガラス越しで果たされる(彼女はエディの存在に写真で気付く)。ジーンは異形=ギャング(ゴジラ)に狙われるようになり、エディの気持ちを知っていながら、都合よく彼に助けを求める。エディは葛藤しつつも、自分の命を差し出し(オキシジェンデストロイヤー)、彼女を守ってみせる。

エディは、堅気の世界=禁酒法が廃止されてギャングが力を失うアメリカ(戦後日本)に希望を繋ぎながら消えていく。裏社会のマイノリティなのに、エディへの愛ゆえにジーン救出へ彼の背中を押すパナマ(グラディス・ジョージ)の振る舞いがまた泣ける。

虚実の中間に立つエディが作る酒は、紛い物に過ぎない。輸入品と偽るために着色したり、潮の香りを付けたりする工程が面白い。この場面から、酒はハリウッド映画のメタファーなのではないかと感じた。嘘の力で現実の人を喜ばせ、金を稼ぎ、やがて黄金期が終わって衰退していくストーリー。

ジーンはエディが用意したサクラばかりの舞台で歌手デビューし、拍手喝采を受ける。虚飾の力を借りながら彼女は自立していく。これは、あらゆる人間が経験しているプロセスでもある。密造酒の取引を断る男はスパゲッティに粉チーズを大量投入するし、冒頭の友人はコーヒーに砂糖をぶっ込んでいる。

そもそも、ジーンは顔も知らない戦地のエディへの妄想を膨らませ、エディは厚化粧をしたジーンの「写真」を成人と勘違いしたところから、双方の恋が始まっている。映画の進行役を担うラジオは「ブルックリンでジャズを聞けない人のためにある」とされる。フィクションに対する間抜けな幻想が、世界を回している。94点。
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