どーもキューブ

偽牧師のどーもキューブのネタバレレビュー・内容・結末

偽牧師(1923年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

チャップリンの囚人が牧師になってみた。



1923年
脚本、出演、音楽、監督チャールズチャップリン。



好きな映画を見てみようシリーズ。今回は私の永遠のアイドル、チャールズチャップリン。

アイドルなんです。写真集2冊もってれば、充分アイドル認定。

好きなんだけど、レビューしてない作品を再見してから言葉にしてみる感じでレビューしています。改めて見てみて、全部思ったことを吐き出すそんな感じ。

今回は大好きなチャップリン後期短編集三作品からの「偽牧師」です。ベータビデオにダビングして子供のころ見てたんですが、なぜかあんまり見なかった「ニセボクシ」。

改めて2022年2月中旬鑑賞してみた。




いやあ面白かったですね、相変わらず。そして、わりと社会派でもあるし、主張が強めの作品だった事に気づきました。

原題「the pilgrim」。巡礼者という意味。ピルグリムなんてきくと「ピルグリムファーザー」、キリシタン、キリスト教、隠れキリシタン、島原の乱とか宗教くさいニュアンスが思い出されます。

チャップリンのバストショットが頻出。
チャップリンは、ロング、ミディアム、クローズアップともはや映画の仕組み等は、「キット」以降明快な論理性と監督感性が完璧に備わってる感じ。

最初の駅のシーンでは、次にどこいこうかと迷う。指をさすシーンでは、旅人・放浪者チャーリーの側面を表現する。
放浪者チャーリーにとって、逃げた果ての囚人服の変わりがたまたま牧師の服だったというだけ。あとは、しらぬ存ぜず。リアクションがいちいち「ビクビク」表現しているチャップリンのリアクション必見。

チャップリンが宗教に真面目な訳ありません。だって駅員にびっくりして、駆け落ちの怒りのお父さんに追っかけられ警官と間違えてダッシュしたりするビビリ。

お説教のはじめも、裁判証言の冒頭宣誓みたいなボーズをしていて笑える。お祈りの聖なるボーズじゃなく、罪悪感アプローチ、犯罪者アプローチ。

みてるとチャップリンは、牧師さんを好きなかんじには見えない。牧師より寄附、お金好きという基本路線が見える。

食うために喧嘩し、恋し守る為にだまし、争うチャップリンの短編からの終始変わらないスタンス。

チャップリンの牧師映画なんですよね。放浪者チャーリーの牧師さんになってみた。駄目だったかもしれない映画だ。ラストは、犯罪を許される訳だ。

「あっちいけ!」と国境ギリギリに蹴りいれられるラスト。花を持ってくるという情状酌量行為を2回する事により認められる訳。

バナナの皮をいきなりカメラ前に現れ、チャップリンを転ばし、お尻を酒まみれにし、神父ご両人、蹴りを入れる。つまりお酒の水滴をとるために足を片方あげるというギャグにつながります。

チャップリンは、囚人が牧師になる。そういう物語にする、囚人の盗んだ服が牧師の服だったという2カットで説明。

見終えてよく考えてみると牧師、宗教のニュアンスに興味が小さい頃薄まったのかな?なんて思いなおした。見直していたのは「給料日」、「担え銃」の方が断然笑えたからだ。

チャップリンは、あんに牧師の説教なんて、ゴリアテの話と同等の一席芸だといわんばかりの説教シーンに見えますね(笑)

トーキーを嫌悪し、喋る映画でさえこの頃いやがっていたチャップリン。

喋るのは、冒頭のテキサスの歌ばかりで、他はチャーリーの作曲音楽と扉を叩く「ドンドンドン!」という音のみ。

ここでは、のちの「モダンタイムス」における「ティナティナ」の前哨戦の演説シーン的、形態模写昔話、ゴリアテのお話が披露。笑い熱狂するのは、宗教会に無関心な寝癖を気にするお子様だけだったという皮肉なオチがある。

チャップリンは、信仰という意味では、「殺人狂時代」やら「キッド」では宗教画的カットを短くさしはさめたり、少しづつ取り入れてはいました。

お布施を両手に持ってカーテンコールをする笑顔チャーリー(笑)

お布施が少ないと、真顔で怒るチャーリー(笑)

お金は、好きだけど、エドナの奇麗な人に恋してといういつもの路線は、お菓子作りのシーンでさり気なく表現。ここものちの「モダンタイムス」の囚人待合室のシーンにかなり似てます。前哨戦ですよね、「モダンタイムス」にかなり影響ありな「偽牧師」です。なりきる系映画は、「のらくろ」でもあるシチュエーションです。本作の鍵は子供。みんなタチが悪い子ばっか(笑)
知らない人と同席して気まずい瞬間も本作登場。「モダンタイムス」でもあります。

ケーキ登場前の暴力お子様の登場が爆笑で、平手でボッコボコに殴るので必見。ラストチャーリーは、子供を押しこくってました。

この対象を間違えて、行って、とんでもない瞬間にするのも「モダンタイムス」の就職して大失敗して失職するシーンに何度も出てきます。チャップリン映画の基礎です。

このケーキシーン笑えますんで是非。ここでもチャーリーの失敗に喜んでるのは、悪戯暴力お子様だけで、クリームまみれの帽子を喜んで舐め廻して親に怒られてます。

本作では、チャーリーのカタキ役がわかりやすく紹介され、現れます。
奪い奪われは、「犬の生活」のラストでも現れるシークエンスだ。 

このいかにもの悪人と階段越しに、お尻に火をつけたり、金が入ってるタンスを蹴りあうチェイスは、もはやチャップリン映画の得意分野。こんな短編ばかりを80本強作ってきた集積にあのお金をめぐるチェイスシーンをさらりと表現。

銀行強盗シーンなんて、止め画であっさりしててこれまた爆笑のガンマンチャーリーがみれます!ぜひ(大爆発大爆笑) 髭をもぎとるのが笑える。チャーリーは、ちょび髭派閥で、あごひげは、嫌いのようだ。

長年のパートナーとの別れです。チャーリーは、エドナパービアンスと恋愛関係になってたと私は思ってます。が、チャップリンにとってエドナは、好みじゃなかったのかもしれませんね。のちの揉める女性たちをみるとチャップリンのパートナー選びの悪さは必然、いや好みが作品に強く影響しているのがわかります。作品と共演女優が同列にあるという後期の重要ファクターなんです。

宗教より恋。牧師より囚人になるのがチャップリンの思想でもあるんです。「チャップリンの冒険」でも脱獄した囚人が主人公になってます。

ラストは、アメリカ対ソ連とか、メキシコ対アメリカで移民問題とかいろんな捉え方あるようです。チャップリンは綱渡りなんですよね。イギリス、ロンドン出身のチャップリンは、ある意味アメリカに来た移民で、アメリカを結局大嫌いになり、アメリカを去る。老年は、欧州で過ごします。

見てみるとチャップリンのある意味ワンデイものに見えますし、かなり「モダンタイムス」の雛形にも見えましたね。いやあ面白かった。

チャップリンの自伝を読み直してみたんだが、本作の描写は、ほぼない感じ。この頃は、はやくこの契約した会社と契約解消したかったようです。イギリスに帰ったり、そこで噂になったポーラネグリと揉めたり、娼婦に入れ込んだり、チャップリンは自伝では言及避けてますが、性力は、如実に作品投影されてるのは、明らかなんですよね。それはウディ・アレンにもいえるんだけど、のっぴきならな表現者のゆえんのかなめだ。




さて
チャップリンの牧師になってみた。
ニセ牧師、偽牧師、「モダンタイムス」前哨戦。

是非ご覧ください!

 
フィルマ版追記
チャップリンは、この頃、エドナパービアンスとの関係もしっかり清算したかったかのようにみえますね。だから「巴里の女性」をチャップリン出演せず、エドナの為に監督し作品で恩返しします。こんな作品は後にも先にもこれだけ。遺作の「伯爵夫人」はまた例外。

チャップリンは、エドナパービアンスと仕事のパートナーとしてずーっと女優として起用し続け、本作最後にもう共演はしません。

以後「黄金狂時代」から共演女優とつきあう、仕事するは以後続きます。作品作りには欠かせません。そうしないと作品が完成出来ない表現者なんですよね。

なんでチャップリンと女優スキャンダルの本が現存する理由はそこです。
同名な監督でいえば、オーソン・ウェルズとか、ウディ・アレンなんかもそういう系譜になってきます。ウディ・アレンもいまだに揉めても引きずってる訳ですよね。ウディ・アレンなんてドキュメンタリーになってますよね、、。凄いよなあー。

ちょっとずれましたが、偽牧師なんですが、これ、チャップリンの就職シリーズでもあるし、「モダンタイムス」に影響与えてるなーって認識しましたね。

これを見たチャップリン短編集のDVDには、「チャップリンレビュー」というチャップリン自身による音声解説がつきます。1953年に作った前フリがついてます。これは、朝日新聞社のビデオ化でもついていました。ベータビデオからついてる仕様。チャップリンは、自信たっぷりにいいます。

「トークは、むーどの破壊です。、、、そんなものより私の音楽が語ってくれます。「偽牧師」みてもらえればわかります」と自信満々に言葉少なめに語ってます。

47分という中編にチャップリンは、のちの「モダンタイムス」の短編たる作品を模索しているような感じにみえました。

だけど実生活は、離婚訴訟、訴訟でこれからは、女性難に巻き込まれ、白髪になってしまいます。
「モダンタイムス」「独裁者」は、ポーレットゴダードとともに生み出し、日本にも来日します。

チャップリンは、ある意味女優と女房を一緒にしないと作品表現が出来ない映画作家なんだという事実がある。
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