Jeffrey

ラストエンペラー/オリジナル全長版のJeffreyのレビュー・感想・評価

4.5
「ラストエンペラー」

〜最初に一言、歴史的事実に基づかない前提で言うと、西欧と東欧の2つの文化が重なり合わされ、アジア的な時間感覚が感じ取れる驚くべき世界映画史と叙事詩に満ち溢れた傑作である。色彩豊かな衣装と紫禁城の圧倒的小宇宙は見る者を圧倒する〜

冒頭、1950年のハルビン駅。中国人戦犯たちが送り込まれる。そこに清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀の姿がある。自殺未遂、紫禁城、即位、幼少期、中華民国、軍人、革命、家庭教師RJ、アヘン、日本軍。今、壮大な歴史絵巻が色彩豊かに写し出される…本作はベルナルド・ベルトルッチが中国本土に一大ロケーションを作り、80年代最大の大作と言える本作は87年東京国際映画祭クロージング招待作品として上映され、また日本帝国と手をとって満州国建設の野望に賭けていく溥儀の生涯を描いた映画である。この度BDを購入して再鑑賞したがやはり傑作だ。1987年に伊、中、英、仏、米の合作による清朝最後の皇帝で後に満州国皇帝となった愛新覚羅溥儀の生涯を描いた歴史絵巻である。本作は87年(第60回)アカデミー賞にて作品賞をはじめ9部門受賞した歴史大作で、今回のソフトには劇場公開版本編(約163分)とオリジナル全長版本編(約218分)と日本語吹き替え版本編(141分)が収録されている。今回はオリジナル全長版本編の218分を鑑賞した。

溥儀は三度皇帝になっている事はご存知だろう。まず最初の時は3歳で、次は11歳、そしてまだ自分の意思と言うものを持っていなかった時期で彼には基本的には責任はないと個人的には感じる。そして3度目は26歳になってと言うことなのだが、どうやら彼は5年前から自分でも皇帝になりたいと思っていたらしく、色々と画策していたと思われる。しかしながらこの映画を見ていくと冒頭のハルビン駅での自殺を図る彼を見ていると、その責任を自覚してないことがはっきりとわかる(1950年7月)。自分が満州国の皇帝になったのは、すべて日本の政府や軍閥の強制によることで、自分のせいじゃないと思っている節がなんとなく映像から伝わる。それはこの映画の所々に挟まれる現在(彼が歳をとってからの獄中生活の場面)の姿を映すシークエンスで、見てとれるように、自分の罪を自覚するにはその後10年間の獄中生活が必要だったことがわかる。自分の責任であったことを全て認めたとき、彼は1人の人間になる…と言うのがこの映画の1つの趣旨である。

正直、よくもここまでベルトルッチは作り上げたなと思う。アジア人ではないのに色々と勉強しているとは思われるが、やはり多少間違った事柄もあるが、清朝皇帝の地位に立った溥儀の愛憎から始まり、別離と出会い、嫉妬と情熱、陰謀と政治、親子の情など様々なドラマティックな要素をふんだんに使って、優れた中国現代史を作り上げ、物語自体に豊かさを持たせると言う仕事量はかなりすごいと思う。もし自分がローマ帝国時代の作品を作れとなったら無理だろう。基本的にベルトルッチは一作ごとに違った映画を撮るのが好きなようで、その流れでアジアに目を向けたのかと思われる。東洋と西洋、2つの文化が神秘の大陸に辿りつき、中国で一つに重なるこういった感じの映画を作りたかったんじゃないかと思われる。この作品の画期的なところはこの一大歴史を、3時間と少しで圧縮したことである。中国政府が溥儀を釈放し、彼に人民権を与えるまでの過程をここまで描ききったのは感無量だ。

そもそも監督が溥儀の自伝"わが半生"を読み感銘を受けたために、当時のプロデューサーのジェレミー・トーマスに話を持ち込んでこの作品が企画され、中国を訪れリサーチを展開したと言う話がある。そして皇帝から一市民へと変わった溥儀の激動の時代を描いたのである。今思えばロシアの監督ソクーロフも「太陽」と言う人間宣言をした(GHQによるものだが)昭和天皇の映画を作っていた。やはり王座の座から一般市民と変わった人物を西洋人には興味があるようだ。ここで主演のジョン・ローンに少しばかり言及したい。彼と言えば私はやはりジャッキー・チェン主演の「ラッシュアワー2」でチャイニーズマフィアのボスを演じていて、それで初めて知ったのだが、その後にミッキー・ローク主演のマイケル・チミノ監督の「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」で悪役ぶりに惚れた過程が自分的にはある。そして次になぜか今でもDVD化されていない柳町光男監督の「チャイナ・シャドー」で知った。

びっくりしたのが凛々しい顔立ちで女性を魅了するハンサムな容姿のローンの子供時代の子役を、誰が探してきたのかわからないが、3歳と8歳と15歳のローン演じる溥儀の少年期の子役たちが凄く彼に似ているのである。特に15歳の子供役は瓜二つであった。もちろんずば抜けた演技力も褒めるに値するが、圧倒的な存在感を放っていた。そして国際色豊かな役者の顔ぶれが揃い、本作で見事にアカデミー賞最優秀作曲賞を受賞した坂本龍一を始め、日本からは高松英郎と立花ハジメが顔を揃えている(立花の場合はカットされてしまっているようだが)。そこへ1万9千にものエキストラを動員し凄まじい映像世界を作ったのである。本作の美術、コスチュームは近年まれに見る豪華さで、中国を写しながらヨーロッパ的色彩で捉えており、驚くべき衣装の美しさが全面的に出されてまるで衣装と空間が織り成す美術館の如く映画は進んでいく。まさに歴史絵巻ならぬ色彩絵巻とも言いたくなるほどに圧巻である。


さて、一体全体イタリアの監督がどのようにして中国(清朝)最後の皇帝溥儀を描くことになったのか、誰しも興味があるだろう。当時この作品を見たときはまだ学生の頃で、内容がそこまで頭に入らなかった。特に時間も長いし退屈な部分もあり、まず集中力が切れてしまう。しかしながら今現在は集中を夢中に変えると言う"力"が身に付いて、全く以て飽きずに見れる感覚を手にしている。そういった中で、今回BDが発売され、久方ぶりに再鑑賞してみたがやはり凄い映画である。日本においては色々と問題があったり、歴史的な経緯を踏まえても事実と異なる場面も多く見られる本作だが、ベルトルッチの今まで撮ってきた作品とは大いに違ったこの作品を見ていると、彼がロバート・デ・ニーロなどを主演に迎えた「1900年」と言ういわば現代史のグランドオペラ的な作品が思い起こされる。

そして彼の傑作の作品の中に「暗殺のオペラ」と言うタイトルがあるが、彼はヴェルディのオペラをよく劇中に流していた。オペラのファンと言う事は一目瞭然で、「暗殺の森」にも十分に流れていた。彼のオペラ的、ダンス的な要素はバロック的ともいえる絵画的映像の美しさの中に入り込み、視覚的なスペクタクルと同時に聴覚にも世界観を与えてくれる数少ない優れた監督の1人である。既に「1900年」で集大成を作ったと私は勝手ながらに思っていた(彼のフィルモグラフィー通りに映画を鑑賞したときにそう感じた)そしていよいよこの「ラストエンペラー」と言う音もなく1万年王朝が揺れるかのように、その時、最後の皇帝わずか3歳、栄光と衰退を彼流の時の流れで止めた本作が登場し、初見した際にはこれこそが彼にとっての集大成なのだろうと感じた(そう感じたのは今回再鑑賞してたが)。

そして本作を観るとポーランド映画の作家で私の好きな監督がいるのだが、ヴォイチェフ・イエジー・ハスの「サラゴサの写本」「砂時計」をふと思い出すような感覚がこの作品にはある。それはきっと絵巻的な溥儀の生涯を3つの時代に分けて、現代絵巻のように作り上げているからだと思われる。上記の2作品にも歴史絵巻、もう片方は幻想絵巻と言っても過言ではないカテゴライズに位置するもので、この溥儀の生涯を描いた「ラストエンペラー」も歴史的な絵巻に分類される。そして清朝の世紀末、天津における1920年代や満州国での1930年代、そして文化大革命を含む3つの時期がこの作品には登場する。さて、ここで紫禁城(故宮)のことを少しばかり説明したい。本来なら海外旅行で行こうとしていたが、今の中国になってからは行くことさえ困難である。まず、紫禁城の私なりの知っている解釈と歴史から言わせてもらうと、15年の歳月と延べ20万人以上の労働者を駆使して築き上げたのが紫禁城であり、永楽16年(1406年)に明の永楽帝が現在の南京から北京へ遷都した。そして500年間、明・清王朝の皇城となった。東西760メートル、南北960メートル、高さ10メートルの城壁が囲み、60以上の殿閣が建ち、部屋数は9000部屋にも達するそうだ。紫禁城は、皇帝の絶対的な権力を誇示するためのツールに使用されていたのかと思われる。ちなみに紫禁城の頭につく漢字の紫は天帝の座の紫微垣に由来するものらしい。ちなみに今も残っている3歳のときの溥儀が腰をかける王座には、金箔で飾られた2メートルの竜の彫刻が施されている。

さて、物語は1950年。ハルビン駅では、次々と中国人戦犯たちが送り込まれて行った。800人を超すその中には、清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀の顔も見られた。うつろな表情をした彼は自ら命を絶とうと誰もいない事務室へ向かう(実際に彼は自殺未遂などしていない、ここは映画的に創作されている)。手首を切り、流れる血を見ながら溥儀の脳裏に、紫禁城へ初めて連れていかれた日が、まざまざと蘇った。その日、光緒帝は帰らぬ人となり、実質的支配者だった西太后は、溥儀の元へ皇帝軍の選抜隊を派遣。乳母と共に、まだ何もわからぬ溥儀を紫禁城に迎える。西太后自身、重い病に犯され死期が近いことを悟っていたのだ。彼女は子のいない光緒帝に代わり、その弟の子供である溥儀を、皇帝にと考えた。そしてあなたは中国一万年王朝の皇帝に決めますと言い残し、息を引き取る。皇帝とは言え、幼い彼にとって500人もの重臣たちが叩頭の礼を捧げる荘厳な儀式は、ゲームのようにしか感じられなかった。紫禁城での生活は、外へ出ること以外は何でも望み通り。しかし、家に帰りたいと言う気持ちが抑えきれず泣きじゃくる毎日。心の支えは乳母しかいなかったのである。

ここから物語は7年後、溥儀は実弟薄傑と初めて会う。1歳違いの2人はすぐに仲良しになる。そんなある日、書道を楽しんでいるところ、黄色は皇帝の色だ、それを脱げ、嫌だと押し問答になる。もう皇帝なんかじゃないと言う薄傑の言葉にショックを受ける溥儀。城内での生活は何ら変わらなかったが、中国全土には革命の嵐が吹き荒れていた。塀を登ってみた外の世界は、弁髪が廃止され、大統領がパレードしているのだった。溥儀は激変した北京を目のあたりにし、自分だけが時代の波に取り残されたことを感じた。その上、心の支えであった乳母が去っていく。限りなく孤独な少年である。そんな時、家庭教師としてレジナルド・ジョンストン(RJ)がやってくる。彼は数学を始めテニスや自動車などの西洋の知識を教えた。溥儀の目は、次第に世界へ向けられていく。意志も言えず指示さえなければ動けない自分が腹立たしく、悔しかったからだ。祈ったが彼の母が死ぬ。アヘンによる自殺だった。最後にひと目でも会おうとする溥儀に対し、私腹を肥やすことに夢中な重臣たちは、固く門を閉す。

門を開けろ、開けろ決して受け入れられない、悲痛な叫びであった。やがて彼は、古い習慣に反発しながらも、17歳の婉容を皇后に、12歳の文繍を第二の妃に迎える。自分で相手も選べばない、と不満を漏らす溥儀であったが、結婚の儀式の後、寝室で初めてベールを取った妻の婉容の美しさに強く惹かれた。一緒にオックスフォードへ…それが妻に対してのプロポーズの言葉だった。ハルビン駅で死を選んだ彼は、心ならずも収容所所長によって救われ、撫順、戦犯管理センターに送られる。そこは自分の犯した罪を償う、人間改造の場だった。しかし溥儀に反省する気持ちはなく、罪の告白も平気で偽り、尋問者を苛立たせた。1924年、中華民国の軍人である馮玉祥のクーデターで、溥儀は紫禁城を追放される。皇帝に即位して以来ずっと望んでいたことがやっと現実になるが、自分が殺されるのではないか…とRJに不安の思いをぶつけた。RJは、英国大使館へ保護を要請することを約束。そして彼が2人の妻、溥傑、女官らと共に紫禁城を後にした。

一方、戦犯管理センターでは、罪の告白が続く。なぜ皇帝になったんだと詰め寄られ、溥儀は天津の日々、甘粕大尉と接触したことを思い出していた。紫禁城を出た、かつての皇帝は、天津の租界地でプレイボーイの生活を楽しんでいた。そんなある日に、蒋介石率いる国民党が上海を攻略。溥儀の身の上を案じた甘粕は、日本公使館へ逃亡するよう指示を出す。その頃から、ずっと孤独を感じ民主主義に目覚めた文繍は、離婚を申し出る。そして置き手紙を残し、雨の中溥儀の本を去っていった。姉妹のように仲の良かった婉容は嘆き悲しむ。そんな彼女の元へ、日本のスパイであり従姉のイースタン・ジュエル(東洋の宝石)がやってくる…。不吉なニュースを持って…。外では共和国政府が返還協定を破って、歴代皇帝の墓を暴き金、銀など、財宝の略奪が行われていると言うのだ。

無論、西太后の墓も例外ではない。生前彼女が愛用していた見事な黒真珠の、蒋介石から結婚のプレゼントとしてマダム・スーンに贈られたのだった。溥儀は中国が完全に自分に背を向けたことをひしひしと感じる。また、長年良き教師であり、友人のRJまでもロンドン大学の教授になるために、帰国の途につくいてしまう。そのかわり、日本軍が前にも増して訪れるようになる。そして1932年。婉容をはじめ、全世界の非難の声にもかかわらず、溥儀は傀儡政権である満州国の執政になり、2年後皇帝となった。この頃から、イースタン・ジュエルの影響で婉容はアヘンに手をを出すようになり、夫婦の間は冷たくなっていた。溥儀が天皇の公式招待で東京訪問中、彼女は寂しさから運転手チャンと一夜を過ごし、身籠ってしまう。東京から帰った彼を待っていたのは、妻の裏切り、日本軍部の内政干渉だった。信頼する首相は更迭され、甘粕はチャン・チンフイを首相に任命する。

そして運転手チャンは射殺された。ここに至って、彼は初めて罠にハメられたことに気づく。相互の国家の独立と平等を尊重したいと主張する溥儀に対し、日本人は唯一、神聖な民族。だから支配する。アジアは我々のものだと甘粕は言い放つのだった。軈て婉容は出産するが、子供は密かに始末され、死産と発表された。歴史の歯車は大きく回転し始める。1937年、南京大虐殺。翌年、日本軍は主要都市を制圧。満州国は日本軍のための戦略上、工業上の基地にされた。しかし、日本軍が崩壊する日が来る。1945年8月9日、ソ連軍が日本に宣戦布告。戦火は満州にも及ぶ。そして8月15日、日本は無条件降伏を宣言した。その日、玉音放送を聞きながら、甘粕は拳銃で自決する。ソ連軍は満州へ侵入し、もうそこまで迫っていた。日本へ脱出しようとした満州国皇帝は、長春の空港でソ連軍の捕虜となったのだった。収容所では学習の日々。囚人たちは徹底的に再教育が施されていた。1959年。10年間の厳しい収容所生活を経て、溥儀は特赦される。

囚人981号から愛新覚羅 溥儀へ戻ったのだ。みんなうわべだけだ。同じ人間が変われるものかと言い張っていた人間が、本当の意味で皇帝から一市民へ、生まれ変わったのだ。一市民となった彼は、庭師となり北京で暮らしていた。そしてかつて幼少時代を過ごした紫禁城を訪れる。今は観光地となってしまった、その場所で昔を懐かしむのだった。1967年、彼は癌の為、その波乱に満ちた生涯を、61歳で閉じた…とがっつり説明するとこんな感じで、ベルトルッチの人間の変貌する姿を描いたリリシズムあふれる作品で、大陸で歴史の波に翻弄された男の物語が映されている。

いゃ〜、人生2度目の鑑賞だがものすごいスケールである。改めて観るとどの時代でも紫禁城が軸に歴史の転換がされていることに気づく。この独特のスケールの設定の仕方はさすがベルトルッチと言わざるを得ない。現代史の急変する時代状況の描き方としては申し分ない(いくつかの誤りはあるが)。しかしながら何の巡り合わせか、この作品が公開される前年度にはSteven Spielberg監督の中国現代史を舞台としたバラード原作の「太陽の帝国」が既にチャイニーズシアターで上映されていると言う事件である。似たり寄ったりな中国を舞台にした作品がほぼ近い年に公開されてしまったと言うタイミングの悪さである。既にメジャー監督による作品に対抗するのは当時かなり大変だったと思われるが、私は「ラストエンペラー」の方が好きである…と言うか、スピルバーグ監督の「太陽の帝国」には散々な酷評をした(気になる方は太陽の帝国でフィルマークス内を調べてみると私の感想が出てくる)。

冒頭物語が始まって10分を超えた頃に、子供の溥儀が満州国の皇后である婉容と話す(一方的に彼女が話すのだが)シークエンスでの中国などの王朝の宮廷で皇帝や後宮に仕える去勢された男性の数の多さと常に皇帝の側にあるため、政治的な力を持つことが多かった彼のたち振る舞いと婉容が腰をかけている大きな台座が前に進む演出は圧倒的である。そもそもこの作品は冒頭の坂本龍一の音楽と中華伝統の模様だったり文化が垣間見れるのはやはり圧倒的に美しく素晴らしい。これは衣装を含め美術セット等も完璧である。特に漢、前漢、明、清などでは強い実権を持つものが現れ、官僚派との権力闘争を展開した事を踏まえると婉容が溥儀に言い放ったこの男たちはただの男たちではないと言う意味もなんとなく理解できる。そもそも宦官(かんがん)とは、去勢された男性で、宮廷に奉仕する人を言うのだが、世界史の学習では、中国の歴代王朝における宦官が重視されるのは何故ンなんだろう…。だって宦官と同様の存在は中国以外の国、例えばインドやオリエント世界、ギリシア、ローマ、イスラム世界、トルコなどにもある。ただ日本に存在しなかったのはむしろ特異なことである。

しかしながらこの映画面白いことに、やはり当時の中国人はカメラとかそういった機材が珍しかったのか、エキストラの人がカメラ目線で目をこちらに向けてしまうのは残念であるが、まぁ致し方ないこととしてやりすごせばいいとは思う。また実相寺昭雄のごとく横移動してさらに再度同じ所へ戻ってくるカメラの長回しも圧倒的である。やっぱり何度考えてもこの作品をイタリア人が撮っていると言う所に驚愕する。チャイナが撮っているわけではないんだもんなぁ、驚きだよ。溥儀の伝記本をベルトルッチが読まなければこの作品は少なくてもベルトルッチの手で監督される事はなかっただろう。もはや運命だったんだなと感じてしまう程だ。こうして西欧人として史上初めて現代中国の史実を描く大作を作り上げたベルトルッチだが、中国の北京でのクランクインから様々な問題が起こったとのことである。西洋と東洋と言う2つの文化の相違から、交渉は困難の連続だったと言っていた。さて、この本作のもう一つの主人公とも言える紫禁城だが、この広大な敷地に立て並ぶ殿閣には9900の部屋があるらし、中国人は神だけが10,000もの部屋を持てると信じているらしい。

さて、個人的にすごく印象に残った場面を述べると、まず衣装担当のジェームズ・アシュソンには敬意を払うべきである。これほどまでに衣装をかき集めたのは大変だったと思うからである。先ほども言ったように、エキストラが19,000人いて、その他にも米国、英国、中国、仏、伊、日本の6ヵ国から集まった主要人物も約60役(人)いるのだから。皇帝の王衣に始まり、日本軍服、西洋のドレス、国民党服など様々な種類の衣装がこの作品では映り込むが、当時の中国で全てを制作しようとするのは無理な話で、世界を駆け巡って衣装を完成させたことわかる。そしてもう一つ、この作品には見事な車が勢ぞろいしている。まずメルセデスに始まり、ベンツのリムジン、フィアット、ランチア、ビュイック、ヒスパノなどである。特に三輪車までが映り込み、これも全て中国に運び込まれたと想像すると絶句門である。三輪車と言えば溥儀が左右赤い壁に隔たれた長い道を自転車で通るワンシーンは圧倒的に美しかった。それとワンシーンに28カットも撮るベルトルッチの凄さもビビるものである。それにしても中国では撮影後に音を録音すると言う方法を用意しているため、その習慣が変わらない限り、西洋での撮影方法(撮影中は静かにすると言う規則がある)とは違い色々と大変だったんじゃないかなと感覚的に思う。

んで、ネタバレになる為あまり言いたくないが、クライマックスで老いて庭師になった溥儀が観光名所となった紫禁城(現在故宮博物院)のチケットを購入して中に入るシーンはこれまで観てきた3時間半を超える作品の最も感動的な場面で、胸に刺さる思いだ。見張り役の子供との会話も、彼の微笑みも、全てにおいて私は慟哭した。そして、外国人観光客のツアーガイドが彼の亡くなられた日を声に出し、観光客がぞろぞろと呼吸の中に入っていく場面でエンドロールが入り、あの王座を眺めるのである。そして壮大な坂本龍一の音楽で幕が閉まる…感無量である。今思えばベルトルッチが亡くなってもう2年経つ。長年多くの作品を一緒に手がけてきた撮影のヴィットリオ・ストラーロの画期的なカメラワークは文句のつけどころがない。彼に撮らせれば歴史巻が幻想絵巻になり、叙事詩的で神秘的な美しい映像が生まれる。是非この作品を見終わった後に毛沢東による文化大革命の中を生きた2人の男性の物語を描いた陳凱歌の「霸王別姬」や張芸謀の文化大革命前の後を生きたとある家族を描いた「活きる」などもおススメする。

そして満州国皇帝の即位式で、花をむしゃむしゃ食べちゃう皇后のシーンも強烈である。その後に女が皇后の足を舐める場面とかもエロスであった。溥儀同様に彼を演じたジョン・ローンと言う役者は京劇と言う大変閉鎖的な世界に入り込み、セルフコントロールの訓練を受けさせられ、家族とも引き離され、義務教育も受けられなかったと言う過去を持つ役者だから溥儀を演じて自分とどこか似ていると思ったんじゃないかなと推測する。そういえば、この作品の坂本龍一は多分唯一スタッフとキャストで参加していると思うのだが、大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」に引き続き2度目の軍人役である。軍人役が好きなのかどうかは知らないが、やはり彼はミュージシャンとして仕事を取り組むべきだなと感じた。確かMISHIMAでも軍人役を頼まれたがナショナリストに思われたくないからと断ってたな(笑)。そんな坂本が演じた誰よりも日本を愛した真の軍人と言われている甘粕正彦は本編では拳銃自殺になっているが、実際彼は服毒自殺(青酸カリ)をしている。なんで自殺の仕方が映画では違うのか、しかも嫌なことに昭和天皇の玉音放送がラジオから聞こえているところにピストルの音が重なるので、まるで天皇に撃っているかのような演出で個人的には嫌だった(深読みかもしれないが)。彼が自殺した理由は彼にしかわからないが、映画を見ても、歴史をたどっても8月9日に満州国へソ連軍が侵入し諦めた感じがする。ちなみに愛新覚羅 溥儀の読み方で言うとアイシンチュエロ・プーイと言うみたいだ。

さて、歴史が昔から好きで、特に日本史と近代史を含め、中国の歴史、半島(朝鮮)問題などを基礎になるべくバイアスのかかっていないであろう作家の書籍を読み学んでいるのだが、この作品において、世界情勢と溥儀の生涯、甘粕の生涯を少しばかり触れたいと思う。それを触れて目にして記憶してこの作品を見るとこの作品がいかに面白いかが分かるからである。何の知識も入れずにこの作品を見たらただすごい映画だった、映像が綺麗だった、悲しい映画だった…と無知蒙昧な感想で終わってしまうからだ。まず1894年から95年にかけて日清戦争が起こり、1899年に義和団事変が発生する。そして時は1904年へ。日露戦争勃発日本が勝利する。そして溥儀が生まれる。そして1911年に辛亥革命が起き、翌年には清王滅亡、中華民国成立となる。そして1914年、第一次世界大戦勃発その4年後の18年に終わり、1915年には日本、対華二十一ヶ条要求がなされる。そして1917年ロシア革命勃発となる。そして1919年中華民国、五・四運動が起こる。この時6歳である溥儀が退位する。そして11歳の頃に2度目の皇帝となりまたすぐに失敗して退位する羽目になる。時は1920年代で、国際連盟設立がなされる。2年後の22年にはソビエト連邦が設立する。そして翌年の23年には日本、関東大地震災が起きる。そして1925年、中華民国五・三〇事件が起こり、1929年には世界恐慌が始まっていく。

一方その頃16歳になった溥儀は結婚をする。そして18歳になり紫禁城を追放され天津へと移る。この時代日本は大正に入り、大杉栄殺人事件などが起き判決懲役10年などが起きている。そして1930年に入り、31年には満州事変が勃発、36年には中華民国、西安事件が起き、翌年の37年には日中戦争勃発する。そして39年には第二次世界大戦勃発、終わるのは1945年である。この頃に溥儀は天津を脱出する。満州国執政に就任する(26歳の時)そして満州国皇帝になるのが28歳で、翌年の29歳の頃に第一回の訪日を成功させる。そして彼の弟である溥傑が日本留学により帰り、中尉に任官吉岡安直、帝室御用掛けとなる。そして時代は1940年代に入り、41年には太平洋戦争勃発する。45年まで日本はアングロサクソンの米国と戦う。しかしながら1945年に奇しくも日本はポツダム宣言受諾して負ける。この際に、国際連合が成立となる。翌年の46年には日本、新憲法公布となされる。その3年後の1949年には中華人民共和国設立、NATOまでもが設立となる。


この時に(昭和20年54歳)の8月20日に甘粕は自決している。そして中華民国の年号で言うと34年だろうか、39歳の溥儀が日本降伏により退位する。そしてソ連軍に逮捕され2ヶ月後ハバロフスクの収容所へうつされる。そして彼が40歳の時に極東軍事裁判に証人として出廷する。そしていよいよ茶番劇となされる東京裁判が行われ、東條英樹を始めとするA級戦犯らが処刑されていく。そして時代は1950年代に入り、翌年に日本は平和条約調印をする。55年にはワルシャワ条約バンドンでA・A会議がなされ、3年後の58年には中国、人民公社の組織が始まる。この頃に、44歳になった溥儀らソ連より中国政府に引き渡され、撫順の戦犯管理所に収容される。2ヶ月後ハルビンの管理所へ移る。そして彼が47歳の頃、帝国主義論の学習がなされ、48歳の頃にまた戦犯管理所に戻る。戦犯に対する調査(告発と罪の承認)が始まる。

そして時代は1960年代に入り、63年に部分的核実験停止条約がなされ、翌年の64年にアジアで初めてになるオリンピック、いわゆる東京オリンピック大会が開催され日本中が熱狂の渦に入る。そしてこの頃中国は初の核実験を行う(日本に対しての嫌がらせ)そして2年後の1966年に毛沢東による中国、文化大革命が始まる。68年には核拡散防止条約を調印する。その頃、中華人民共和国11年になり、53歳の溥儀は特赦により35年ぶりに北京へ戻る。そして54歳になり、北京植物園に勤務する。そして58歳で、我が半生を出版する(これを読んでベルトルッチがこの作品を作りたいと思った)そして61歳10月17日に北京にて癌のため死去する…とこういった流れがこの作品の核となる重要な出来事になっているので、ぜひこちらを踏まえてこの映画を見るとより一層楽しめるのでオススメする。しかしながら、繰り返すようだが、史実に基づかないエピソードも多くあるし、逆に入れなくてはいけないエピソードを省いてたりもしている。なのでこの映画全てが真実だと信じ込まないでみてほしい。中国人民政治協商会議に溥儀が出席した事は一切この作品では出てこなかった。その他多くある。

この作品をまだ見てない方はぜひお勧めする。あぁ傑作。最後に、個人的なアレで申し訳ないが、主演のジョン・ローンがつけていた丸い眼鏡まじでかっこいいんだけど、どこに売ってるんだろう?てかもうヴィンテージ物だけど、めちゃくちゃ欲しい。あとこの作品2013年にカンヌ国際映画祭で3Dバージョンが上映されたとの噂だが、なんでそんなことしたのだろうという疑問もある。後、中国共産党による事でアカデミー賞受賞した中国を舞台にした映画にもかかわらず本土の人たちはほとんどこの作品を知らない(知名度が低い)。
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