タナカリエ

ものすごくうるさくて、ありえないほど近いのタナカリエのレビュー・感想・評価

5.0

映画や小説、アニメやドラマもそう
観る人のバックボーン、歩んできた人生や経験で受け止め方が違うから
もちろん評価も異なってくる。


まず主人公であるオスカーはアスペルガー症候群をもった11歳の少年である。
よくネットでアスペアスペと言われるアスペルガー症候群であるが
そもそもは自閉症スペクトラムの中の症状の一種であり
自閉症スペクトラムによく見られる知的障害は、アスペルガー症候群では逆に知能指数的には高い、という症状で現れる。

もちろんオスカーはとても利口で理論的で
11歳の少年の枠を飛び越えるような子どもであることは間違いない。


しかし知能指数が高いが故に、また自閉症スペクトラムの特徴のでもある対人コミュニケーション能力の低さ、またその経験に基づく恐怖心によりコミュニケーションを取ることや、大勢の人がいるところ、家の外、さまざまなことに恐怖を抱いている。
それを調査探検と称して、オスカーが人とコミュニケーションを取らざるをえない状況を作ったり
自発的な気持ちで家の外へ向かうように促していたのが、オスカーの父であった。


オスカーの父が取っているオスカーへの行動はアスペルガー症候群への対応として完璧と言っていいほどに緻密かつ正確であり、アスペルガー症候群を理解し、息子を理解した素晴らしい父親であったことは間違いない。
だからこそ父を亡くしたオスカーが、思わず母に向かって「あのビルに居たのがママだったらよかったのに!」と本心でなくても叫んでしまうほど、唯一無二の理解者だったのだろう。


実は私の夫もアスペルガー症候群である。
公開当初はまだまだ学生で、アスペルガーの夫とは出会ってこそいたものの、付き合ったりもせず、今居る保育の道も志していなかった。
しかし今はアスペの夫と暮らし、
自閉症スペクトラムをはじめとした様々な障害を持つ子どもたちへのケアや音楽でのアプローチを図ったりする仕事をしている。


アスペアスペアスペとずっとアスペの話をしているが、
自分自身、アスペルガー症候群の夫を持ち、そのコミュニケーション不全がもとで「カサンドラ症候群」というものに現在悩まされている。


まあ簡単に言ってしまえばアスペルガー症候群のパートナーを持つ人が、そのコミュニケーションの取れなさ、他者に相談した際にアスペのパートナーが取る行動が常軌を逸脱してた場合に信じてもらえなかったり、そんなことの積み重ねで生じる鬱病である。
私は2年前から、お洒落に言えばカサンドラ症候群、わかりやすく言えば鬱病である。


主人公オスカーががんばったり無理をしたり、乗り越えようとする気持ちの反動のように自分の身体を強く抓ったりして「酷く悪いことをしてしまうんだ」と言ったシーンでは、
自分が先日夫に自由に過ごしてほしいのに自分自身で支え切れず自傷行為、後に睡眠薬をオーバードーズして入院した気持ちと深く交わり、涙が止まらなかった。


きっと公開当初見ただけではいい話〜ぐらいで終わっていただろう。
この作品は絶対観たい!と思いスケジュールにもメモして、前売りも買ったほどだったのに自分の予定や体調不良などで公開中に劇場で見ることができず
使われることのなかった前売り券は今も実家の日記に挟まっている。


きっと今この時観るべきだからという運命の導きだったのだろうと強く思う。
私は信心がなにかにあるわけでもないが、こういった運命的なもの、必然的なものはなぜかあると信じているタイプなのだ。


Filmarksのオススメに出てきて、すっかり忘れていたこの映画の存在を思い出し、先日自傷行為からのODで救急搬送され、自宅療養中の今日、この映画をみた。
人生においてこういうことがあるから必然や運命を否定することはできないと強く思う。


だからこの評価は私の人生、バックボーンを含めた評価になってしまっていて、他者の映画を見る基準にはならないだろう。
しかしそれはどの映画でも人が評価するとうことはそういうことで、と私は思うのだが

今回ばかりはそれで誤魔化しが効かないほどに感情移入してしまったことは紛れもない事実である。