コミヤ

この空の花 長岡花火物語のコミヤのネタバレレビュー・内容・結末

この空の花 長岡花火物語(2012年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

大林監督のメッセージを代弁する過剰な台詞回し、ジャンプカットなどでひたすら間を詰めまくったスピーディーな編集、教育番組のドラマのように歴史に埋もれそうな出来事を説明するためのテロップなど通常の映画文法から逸脱した作りになっており、監督の主張ありきで進行する。

「人は死にます。でもみんな死んだんじゃない。殺されたんだ。戦争に」

「勝利が平和では戦争が終わるわけない。vサインは勝った国の平和なのだ」

「その人達が胸に刻んだ体験を私たちは痛みを持って知りました。だから私たちは別の誰かにそのことを伝えます。まっすぐに祈りを込めて 」

「戦争で学んだことを未来へ伝えて行くのがこの街に生まれた人間の義務だ。大人のなかには戦争が必要だと言う奴もいるが、戦争が好きな子供なんていない。平和を作るのは子供達の仕事なんだ。」

上の台詞のように"過去を生きた大人が未来を生きる子供のために何ができるか"というものであり、その姿勢が徹底して貫かれている。(であるならばもっと上映時間を短くしたほうがいいのでは…と思った)
 
こんな異色な作風はその語るべき主張に対する切実な思いや覚悟がないと為し得ないものだと感じた。

そしてこの作品は、時代、性別、国籍、宗教など全ての境界によって引き裂かれた人と人の隙間を埋めるための有効な手段としての想像力、そして想像力の場としてのあらゆる芸術表現が持つ力について言及する。先人の思いを何世代も後の人々に伝えることのできる芸術の存在意義について説いた『グランドブダペストホテル』に近い精神性を感じた。(恐怖を恐怖として伝えようとしたカーツ大佐とも同じ?)

歴史を振り返らないこと、まして歴史修正なんて言語道断であり、過去からの繋がりとして今を見て、いかにして過去の失敗からより良い未来を作ることができるのかを考える。
「戦争なんて関係ない」なんて言えない。
コミヤ

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