紅蓮亭血飛沫

ショーシャンクの空にの紅蓮亭血飛沫のネタバレレビュー・内容・結末

ショーシャンクの空に(1994年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

言わずと知れた名作映画、10年以上の歳月を経て久し振りに鑑賞しました。
名作としての知名度が高いだけあり、全編に渡って緻密なやり取りと要素がしっかりと組み込まれています。
主人公・アンディと所長の聖書を用いた腹の探り合い、進展しない刑務所の予算の使い道等、それらの要素を通して囚人という存在からなる葛藤と腑抜けてしまった精神がとても印象的でした。
また、実際に廃れた刑務所をロケ地として活用し撮影した、とだけあって刑務所を舞台にした作品としての雰囲気は画面からしっかりと伝わってくるのが嬉しいですね。

次に、定期的に反復して流れる“レッドが仮釈放されるか否か見極める会議シーン”や、アンディの独房に設置されてある女優のポスターといった小道具を通して、年月がどんどん過ぎ去っている事を画面を通して述べていくスタイル、これがとても良い。
それこそ普通の映画ならば字幕を通して「〇年後…」とか「19XX年4月…」と簡潔に説明できる。
が、本作ではそんな無粋な事はしない。
アンディやレッド、その他の囚人の髪型やメイク、表情等の豊富なレパートリーを駆使する事で、移り変わっていく時の流れを視覚的に表現する事に着手している。
勿論、レッドを仮釈放すべきかの会議シーンでも同様に、室内に入るカメラワークが毎回固定されていたり、座席に座るよう呼びかける過程も毎回行ったりと抜かりない。
本作では気が付けばどんどん時が流れ、その結果19年ほどの歳月を送る羽目になります。
その19年という長い歳月を駆け抜けるからこそ、細かく字幕等で時間を表現するのは野暮だったのではないか、と感じました。
ベストな判断の下で制作されたであろう事が伝わってくる、いい表現でした。

本作の肝となる、“希望”という概念。
アンディは希望を胸に抱いているからこそ、この刑務所生活の中でも自分を奮い立たせて気高く振舞い、最終的に目標を達成する事が出来ました。
一方、アンディと親しくなった友人にして、数十年前から服役しているレッドは希望という拠り所を信じようとせず、アンディの意思には反対の意を示します。
希望に縋れば縋るだけ、それが叶わなかった時の絶望は底知れない。
現にレッドは、仮釈放するべきかどうか判別される会議を何回も受け、その度に仮釈放不可の烙印を押されて放り出される経験を味わっているのです。
それだけでなく彼を含めたくさんの囚人が、シャバに出る事へと否定的であったりする、これが重要な点です。
本来ならば刑務所という圧力の強い閉鎖環境でなく、社会に出た方がいいのではないかと考えてしまいますが、その理由は今となっても色褪せない、強烈なインパクトを放ちます。

刑務所という狭い世界の中だけで長い時間を過ごしてきた彼らは、刑務所以外の環境での生活に強い不安を、恐怖を覚えているのです。
刑務所の中ではレッドは“調達屋”という称号が浸透しており、ブルックスという人物は図書館で仕事をする役割を与えられた、50年以上服役している囚人として機能している。
そんな彼らは、世に出れば今までのあれこれは全部剥奪されたただの人となり、刑務所に服役していた分、世に出ても何の強みもない空白の人生を余儀なくされるのです。

そんな恐怖心がもたらす状況を代弁するかのように、本作ではブルックスが50年に渡る服役の末、遂に仮釈放として世に帰って行くのですが、50年の時を経てシャバに復帰した彼の見る世界・生活は、彼にとって悲痛な事柄で溢れ返っていました。
慣れない仕事、店員や客からどやされる、友達のいない環境、車の多い街、不安で眠れない夜…刑務所という環境で長い時間を過ごしたブルックスにとって、最早シャバではなく、刑務所が彼にとっての世界、心の休まる場となってしまったのです。
そんな生活を送る中、「あの人を拳銃で撃てば、また刑務所に戻れる」といった思考に一瞬陥り、そんな自分を戒めるブルックス…。
そして終わりの見えない苦痛が続く日々の果てに、彼は自らの手で命を絶ってしまう…。

行く当ても食料もない人が、軽い犯罪を繰り返して刑務所に入り浸る…という話を昔どこかで聞いた事があるのですが、本作で描かれたブルックスのように、刑務所で過ごす事が最早彼らにとっては心休まる故郷となってしまっている…という光景は見ていて言葉では言い表せない、複雑な気持ちにさせられます…。

以下の事から、“希望”に縋るような事だけはしないと決めているレッド達ですが、アンディはその希望という拠り所をずっと抱えたまま生活していきます。
生きていくために希望を持とうとするアンディ、生きるために希望は捨てるべきだと諭すレッド。
対称的な二人の思考ですが、ここで本作における名台詞が炸裂。

「選択肢は二つ… “必死に生きる”か、“必死に死ぬ”か」

必死に生きる、とは即ちどんな逆境でも踏ん張って進み続ける、気高い生き様の事を表すのでしょう。
では必死に死ぬ、とは自分の手で選択肢を狭め、諦めの連続で人生を放棄しているという自殺行為に近い思想。
アンディのように、常に希望を持ち続ける事が絶対的に正しいとはとても言えません。
実際アンディは本作においても何度も救済されるような機会が訪れますが、その度に所長といった上の人間によって希望は淘汰され、深い悲しみに陥る事も多くあったのですから。
更に、終盤で明かされる真実ではあるのですが、偶然が重なり自分を支えてくれた大きなきっかけが生じた事からアンディは希望を得たとも言えるわけで、誰も彼もが希望を持って生きるというのはやはり難しい。
ただ、希望を持たなければその可能性が転がってこないという事も同義ではないでしょうか。
希望を持ちながら生きる、という非常に難しい茨の道ともいえる生き方を貫けるかどうか、日々考えながら生きていくのも一興かと。

私個人が本作で思わず涙が零れたシーンは、アンディが発見したレコードの“モーツァルトの歌劇『フィガロの結婚』にて流れる『手紙の二重唱』”を刑務所全域に響き渡らせた場面ですね。
所長といった大勢の人がすかさず入り込んで中断されたので短い期間でしたが、この瞬間における刑務所内の囚人達は、みなその場に立ち尽くして流れるメロディに心酔するのです。
思えば、この刑務所で彼らは音楽といった芸術を味わっていない(映画上映や本は許可されていましたが)なぁと思うと、尚更心が動かされました。
私自身としても音楽を日頃嗜んでいるので、いざ刑務所に入って音楽に触れてこない日が続いた時にこのシーンのような状況が訪れたら、同じように涙が流れる事だと思います。

本作は刑務所という環境を舞台にしている事もあり、囚人となった者の世界観や囚人同士の人間関係からなるトラブルを描き掴みはバッチリ。
次第に変化していく囚人達と刑務所の環境、そして希望を抱きながら生きる者と、希望を抱く事を放棄する者。
それぞれの決意を胸に生きる彼らは、どこに向かうのか。
是非ともあなたの目で確かめて下さい。