事実を知って観ないと意味がない作品。
何も知らないで観ると、
「チャッブリンもこの頃は落ちたね。なんか笑えないね。」て思うだけかもしれない。
笑えない?
そりゃそうだ!
だって、彼はずっと根底に持ち続けてきた映画制作の根幹の精神のヒューマンな部分を全て捨て、
ただ一点、ある感情の赴くままに作品を仕上げたのだろうから。
それは、アメリカへの憎しみ、恨み、
そして皮肉、、、
「モダンタイムス」や「殺人狂時代」を
「容共的」と揶揄され、
1950年に入ると、度々召喚命令を下され、
ついには、1952年に、国外追放となったチャップリン。
皆さん!考えられますか?
あのチャッブリンが!
あの名作を次々に世に作り出したチャーリが国外追放なんて!
それを「自由と民主主義」掲げていた(表向きは)アメリカがやったんですよ💢
あの戦争後、わずか7年後のことですよ💢
この映画はそんなアメリカへの痛烈な皮肉に終始している。
うるさいだけのパーティ、
CMに流れれば商品が売れるTV資本主義
自由とは名ばかりな勝手に振る舞う学校
劇中に出てくる映画のデフォルメの凄いこと。
内容なしの謳い文句だけのフィルムの連打
そして、劇中に重要人物として登場の演説少年。
作り手は、その共産少年には加担してはいないように思えるが、
かといってそれを尋問したり、追放したりする社会って何なんだ!と激しく問いかける。
さりとて、チャーリが演じる王様をヒーローにせず、彼自身をも、ちらっと彷彿させるような、若い女の子好き、みたいなダメな部分も見せていくあたりは、実にバランスが良い。
往年のコメディの動きや表情も随所に見せら飽きさせない作りも、怒り心頭の中でさえの余裕も感じる。
そりゃあ、歴代の名作たちに比べれば、、とは思うが、決して駄作ではない!
ネットでいいので、れっどぱーじとチャッブリンの関係を検索してから、観ることをお勧めします。