晴れない空の降らない雨

コンドルの晴れない空の降らない雨のレビュー・感想・評価

コンドル(1939年製作の映画)
3.4

■恋愛が邪魔
 死と隣り合わせで働く郵便飛行士たちの人間模様。何度観ても、因縁の男がカムバックしてきて話が面白くなるにつれ、いよいよ疑問に付されるヒロインの存在価値。やっぱホークス映画のヒロインには魅力がない。
 
 つまらん会話をつまらんショットでやっつける処理が目立ち、ヒロイン絡みをごっそり削って100分くらいの上映時間にしてくれたらよかった。
 
■ショット、運動
 ホークスはクローズアップが嫌いだと話している。実際、彼の映画では、画面に所狭しと人が詰め込まれ、複数のアクションや会話が同時に進行することが多いし、そういうショット=シーンが楽しい。セッションのショットは構図がよい。面白かったのは、男たちが揉めているとき、ヒロインが背景モブの一員と化すところだ。ヒロインを後ろに小さく見えるだけの存在にすることで、彼女が蚊帳の外であることを視覚的に物語る。
 
 会話中心になりがちな人間関係の描写に、マッチやコインのやりとりで運動を入れるのもthe 職人という感じだが、狙いが透けて見えたので自然さという点ではイマイチかもしれない。また、ホークス映画における同時発話もまた、一種のアクションと言ってよいのかも。

■サウンド、運動
 サウンドについては、序盤の会話シーンで、店主の発話するその最中にクローズアップが挿入されるところが興味深い。ここはちょっとぎこちなく感じるのだ。トーキー初期の映画は、発話の切れ目がショットの切れ目であることが多い。件のクローズアップは、そうした音と映像の機械的一致を破ろうとする初期の試みではないだろうか。だから少し違和感があるのではないか。
 
 序盤の着陸失敗シーンはやたら長いわりに動きがほとんどないのだが、遠くから聞こえるモーター音のみで緊張感を演出している。視覚と聴覚の不均衡はサスペンスの定番だが、この点について今少し踏み込んでみると、サウンドが空間のつながりを保証することで臨場感が生まれているのだろう。
 そしてまた、空間がつながっているから、運動は可能である。近づいたり遠ざかったりするモーター音を通じて、我々は飛行機の運動を想像(というより想起)しているのだろう。