青山祐介

サクリファイスの青山祐介のレビュー・感想・評価

サクリファイス(1986年製作の映画)
4.5
『憐れみたまえ、わが神よ、したたり落つるわが涙のゆえに!/こを見たまえ、心も目も、汝の御前にいたく泣くなり。/憐れみたまえ、憐れみたまえ!』
J.S.バッハ≪マタイ受難曲Nr. 47 ARIE≫

アンドレイ・タルコフスキー「サクリファイス(Offret:Sacrificatio)」1986年
スウェーデン=フランス=イギリス映画
タルコフスキーの遺作となったこの作品は、バッハ≪マタイ受難曲≫の第47曲、アリア
(Erbarme Dich)からはじまります。ペテロの否認に続く場面で、バッハの楽曲のなかでも
「最高の名曲」といわれた箇所です。アルトのアリアに、ロ短調のヴァイオリン・ソロが
生きる者すべての嘆きのように心に沁みわたります。背景にはレオナルド・ダ・ヴィンチ
未完の作品「東方三博士の礼拝(1484年)」の部分画が映し出されます。タルコフスキーは、
幼な子イエスに乳香の壺を献げるバルタザールに、おのれ自身をかさねたのでしょうか?
この画を見た、ベルジャーエフとも、あるいはニーチェともとれる、郵便配達人オットー
がこう言います。『何を描いたものか、何と禍々しい、レオナルドの画はどれもとても怖い』
と。1974年「鏡」で使われた≪ねずの木のそばの若い婦人像≫についてのタルコフスキー
の言葉が参考になるかもしれません。『何ものにも依存していない視線で…レオナルドの描
く形象は…常に、魅了すると同時に、人を遠ざける“悪魔的なもの”の、ふたつの相矛盾
した特徴によって…人を驚かせる』のであると。
1983年:「ノスタルジア」公開。
1984年:「サクリファイス」のシナリオ作成。ミラノでソ連に帰らないことを宣言。
1985年:「サクリファイス」の撮影始まる。癌を診断され入院、放射線による治療。
1986年:「サクリファイス」公開。12月29日死去。
タルコフスキーは癌を診断された翌年に亡くなります。おそらく、死への意識はそれ以前から持って
いたものと思われます。それまでは深い信仰心からではなく、寓意としてキリスト教を描
いてきましたが、この作品では信仰が前面に出て、ストルガッキーの台本にある≪魔女≫
は背後に退いています。オットーと交わす、歴史的、哲学的、黙示録的、神秘的な過剰ともいえるお喋りに比べて、『天にいますわれらの父よ…(マタイ6.9)』とはじまる「祈り」の言葉は、何と素直で、拙く、直情的で、それだけに切実なものであったことが分かります。
タルコフスキーは、この作品を作ることで、祈りの言葉を獲得したのです。世界は“魔女マリア”によって救われたのではなく、“天使=マリア”によって導かれたのです。
「我々だけのために建てられた家を焼く」燔祭(焼き尽くす献げ物)の後のアレクサンデ
ルの展開は非常に興味深いものです。救急車で搬送される時の滑稽な行動は、憧れていた俳諧(=滑稽)の境地に達したタルコフスキーの姿なのでしょうか。
それは希望であるのか、老人の妄想であるのか、枯れた松の木に水をかけ、喉の手術のために口のきけなかった息子がはじめて声を発します。『初めにことばがあった、でもなぜなの、パパ?』― それは「祈り」のためなのです!

『芸術は人間の中に希望と信仰を植えつける使命を有している(タルコフスキー)』のです。
青山祐介

青山祐介