純

セント・オブ・ウーマン/夢の香りの純のレビュー・感想・評価

4.6
卑屈で横柄で最低で、だから何なんだと言いたいし、素直で謙虚でまっすぐで、だから偉いなんて言いたくない。在り方とか生き方とかを、立派だとか優秀だとかいう言葉で殺したくないな。どんなひとだって信念を持って道を選んだり歩いたりしているし、どんな呼吸の仕方だって、他の人とそう変わらない濃度の酸素や二酸化炭素を吸ったり吐いたりしていることを、私たちは思い出すべきだ。

ストーリーや演技などのわかりやすい良さのずっと奥から、切なさと温かさが痛みと一緒になって香ってくる、そんな孤独とつながりがそれぞれで光ったり、たまに手を取り合ったりする映画だった。

スレード中佐は輝かしい過去のことさえ誹謗中傷を受けるほど口も態度も悪く、乱暴な性格で煙たがられていた。でも、彼が乱暴に振る舞うからって理由で彼を邪険にすることのほうが、乱暴なんじゃないのかって私は思うよ。盲人だから特別扱いしようなんて言わない。でも、乱暴な言葉だとか不恰好な歩き方だとか、見えるものだけで彼を非難したくない。そのひとの立場に立ったこともないのに非難するなんて、おこがましいにもほどがあるだろって、言って彼を守りたい。批判はしなくても、彼を諦めてしまったひと、面倒に関わりたくないと彼から離れたひとだって、大切な勇気を見失っていると思う。スレード中佐は、きっとすごく悲しかった。自分に起きたことは自分にしかわからないなんて当然で、でも何も知らないひとたちから表面上のことだけを非難されて、非難しない人間は「言わせておきましょう」みたいな態度で。これまでに関わりのあるひとは皆、スレード中佐に、彼が見せないでいる弱さを見せてほしいというそぶりを見せることさえしなかった。彼は卑屈で横柄で最低で、それでいて周りのひとたちが忘れてしまった、目に見えないものでひとを見ようとする心を忘れずに、大事に守って生きてこれたひとなのに。

チャーリーだけが、彼ときちんと向き合っていた。彼の話を聴いた。ちゃんと反応を返した。赤の他人だからって蔑ろにしなかった。自分から見えるスレード中佐の姿を、自分の言葉で彼に伝えた。チャーリーがしたことを100%素直にまっすぐ行えるひとは、きっととても少ない。不器用ではあっても、自分のことを「盲目の頑固人間」ではなく、たったひとりの「スレード氏」としてチャーリーが見てくれたことを、スレード中佐は確かに感じたと思う。スレード中佐が彼の魂を死なせたくないと本気で思えたのも、全力で楽しむ自分も全力で生きることをやめたがった自分も、全部チャーリーは本気で受け止めようとしてくれたからだ。結果的にできるかどうかなんてなりふり構わず、受け止めたいと思った気持ちをそのまま示してくれたからだ。不恰好で頼りなくて、でも正直で優しくて。自分が死ぬことを嫌がってくれるひとがいること。自分が死んだらこのひとは悲しんでくれるんじゃないかなんて傲慢な期待を抱かせてくれるひとがいること。そんなひとがいる人生に生きる意味がないなんて、私は絶対に言わせない。

フェラーリを暴走させた後にスレード中佐が虚無感を纏っていたシーンは、あの数日の自分の人生を映し出したようだった。豪遊して、ひとつの夢を叶えて、でも最後にこれまでの自分が失ったもの、劣っていたことをずっしりと感じて、人生の運転をやめたくなった、そんな悲しみの香りがした。あんなに強く振る舞えるスレード中佐にも確かに存在した一面を、彼が取り繕わず、逃げずに他人に見せたひとつの場面だったように思う。

結果的にチャーリーがスレード中佐のためにしたことも、スレード中佐がチャーリーのためにしたことも、本当はお互いがただそうしたいからしただけなんだって、私はそう信じている。こうすれば相手のためになるから、って思考が入る隙なんてなくて、純粋に彼を止めたいと、彼を守りたいと思ったふたりの最高に自己中心的な思いと、だからこそ本物の関係が眩しくて愛おしかったんだと、言っていたい。

素直なチャーリーも卑屈なスレード中佐も、悪戯小僧たちも校長も、きっとそれぞれ自分にとって大事にしたい信念がある。それはランク付けされるものではなくて、それぞれが他者から受け止められるにふさわしい、色や形や匂いを持った大切なものだ。特別褒め称えるものでもない。だけど、自分だけの基準で他者の大切な考え方、生き方を否定することは、きっと許されない。許したくない。自分にとって大事なひとの信念が殺されようとしていたら、きっと私たちはスレード中佐のように、体当たりでぶつかっていける強さと愛を他者に見せることができるよね。

表に見せる表情がなんであれ、香る匂いがなんであれ、生きるなんて辛いことばかりで、自分に棘が刺さっていること、自分が血を流していることに気づかずにいることもある。でも、ああこれで良かったんだなと思える一瞬というのは確かにあって、そういうとき、ああ足が絡まってもタンゴを踊り続けて良かったって、そう思えるのかもしれないね。この映画でのタンゴのシーン、やさしい音楽が流れるすべてのシーンが、生きる喜びや哀愁を激しく、静かに、心に刻んだり染み込ませたりしてくれた。

題名には似つかわしくない雰囲気の映画だけど、夢の香り、と副題をつけた意味は、映画を観たひとなら納得するフレーズなのかもしれない。無愛想で堅いスレード中佐の繊細で紳士な一面が一瞬ふわりと芳しい香りとなって現れるような、忘れられない誰かを心に刻んだりこれから探しに行ったりする神秘さを感じるような、思わず唸ってしまうハイセンスさ。157分を長いと感じさせない、濃密で馥郁な香りが漂う良作だった。
純