時代設定がわからんが、昔のイギリスの「地主貴族層」の人たちのお話です。
ダッシュウッド夫人は後妻なので、夫が亡くなると遺産は全て前妻の長男ジョンに行ってしまい、年500ポンドしか貰えない。強欲なジョンの妻ファニーは、ダッシュウッド夫人が娘たちと住んでいる邸宅に勝手に移り住み、弟のエドワードも招く。
ダッシュウッド夫人の娘たち、エリノア、マリアンヌ、マーガレットは、エドワードと友情を築き、特にエリノアはエドワードにほのかな愛情を感じ始める。
しかしファニーはなんとしてでもエドワードとエリノアを結婚させまいとする・・・。
こういうイギリスやアメリカの「いつもドレス着て仕事もしないで暮らしている人」ってどうやって生計立てているのかな?と常々思っていたのですが、この映画では gentry という地位で、ウィキによると
「貴族階級である男爵の下に位置し、正式には貴族に含まれないものの、貴族とともに上流階級を構成する。貴族とジェントリの間には称号(及び貴族院議員資格)以外の特権的な差異はなく、一つの「地主貴族層」として扱われた。ジェントリは治安判事など地方行政職を無給で引き受け、地方の行政機構の一翼を担うとともに、中央官職へ人材を供給した。家柄や所領規模に応じて、バロネット、ナイト、エスクワイアに分類される」
脚本を書いたエマ・トンプソンは、現代の人たちに、エリノアたちが貧しいんだってことをなんとか解らせようと、原作からほんのちょっと設定を変えたそうです。
このエマ・トンプソンが36歳でありながら19歳の役を演じたと、原作知っている人には違和感あったらしいのですが、私はあんまり考えないで観ていました。
ヒュー・グラントね〜!!!この頃「ヒュー様」とか呼ばれてすっごい人気だったけど、今観ると変な顔だよな。このキャラが全然深掘りされてなくて面白くなかったな。
あとアレン・リックマン!!この人は私、『ダイハード』のハンスのイメージが強すぎて、最初出てきた時「少女と無理やり結婚するスケベじじい」的な役なのかと思ってたら、いい人を演じているんですね。
でまあ、全体的には、貴族なんだけど、女は旦那が死んだりすると仕事もなく、貴族とはいっても貧窮し、娘たちはお金のある男と結婚しなければならないのだが、上流階級にありがちな嫉妬や妬みで阻止されたりするし、あと、あまり感情を表さないので誤解やすれ違いが多い。
あと、やたら見合いさせたがる近所のおばさんみたいの、こういうのに良く出てきて「うぜー」っていつも思うんだけど、結婚で生活決まるんだったらこういう人いるだろうなとは思った。
んで主人公たちは、こんなソサエティでも愛のために結婚したと、そこがドラマ性なんでしょうが、面白くなかった。
なんか解説を読むと「こういう上流社会の風刺」や「イギリスならではのドライなユーモア」が満載ってことだけど、英語聞き取り辛いのもあってあんまりその辺は解らなかった。
これだったら『風と共に去りぬ』の方が100倍面白い。地主階級の土地に対する執着や、男と結婚することでしか富を得られない女の人とか、そういう風潮に逆らって自力で商売してみんなに陰口叩かれるスカーレットと、南部の保守的な地主貴族を批判するレット・バトラーの存在がそれこそ「風刺」になってるし、アメリカの南北戦争、貧困、愛、友情、全て入っているではないか!
こっちは単に色恋だけだし、登場人物たちにもあんまり深みがない。悪魔的な意地悪女がいて、貧しいけど純粋な女がいて、男も女を弄ぶ人と純粋にいい人、みたいな。
それにしてもこれって邦題『いつか晴れた日に』なの?!私は “Sense and Sensibility” っていう題名でしか憶えてない。『いつか晴れた日に』はないだろ〜。