Jeffrey

D.I.のJeffreyのレビュー・感想・評価

D.I.(2001年製作の映画)
4.0
「D.I.」

冒頭、イスラエル領ナザレ。ゴミ捨てする男、手紙を読む父、心臓発作、大爆発、大炎上、嫌がらせ、銃撃、女忍者、ハンドセックス、圧力鍋、ゴミ捨て、空瓶、警官、旅行者。今、パレスチナに於けるユーモアが炸裂する…本作はエリア・スレイマン監督が脚本も務めた2002年に仏、パレスチナで合作したブラックユーモアと詩情に溢れた傑作として日本でも大ヒットした本作をこの度、廃盤のDVDを購入して初鑑賞したが素晴らしい。まず、2002年のカンヌ映画祭で審査員賞と国際批評家連盟賞をダブル受賞したと言う事で話題になり、マイケル・ムーア監督の「ボーリング・フォー・コロンバイン」を始めとして様々な作品を抑えて受賞した。パレスチナの愛と苦悩と紛争の歴史を豊かなイマジネーションを映像にした傑作だ。

ちなみに2002年のカンヌ国際映画祭最高賞パルムドール賞受賞したのはロマン・ポランスキー監督の「戦場のピアニスト」である。

さて、物語はイスラエル領のナザレで父が心臓発作で倒れ、東エルサレムに住む息子エリアが病院に駆けつける。そして彼は父親を看病しながら愛するマナルと言う女性を想う。その2人はお互いに住んでいる場所が違くて、2つの町の間にはイスラエル軍が厳重監視する検問所があり、お互いに車で通過ができないようになっている。2人がデートできるのは検問所の駐車場の侘し一角だけだ。そうした中、車内でハンドセックスをする2人、何とか検問所を突破するために敵側の議長であるアラファト議長の顔が付いた赤い風船を空に飛ばし、風船は上空を浮遊する。イスラエル兵士たちがそれに気づき慌てる隙に彼らは果たして突破できるのだろうか…。


本作は冒頭から魅力的である。まず草原を走るサンタクロースのファーストショットで始まる。そのサンタを追いかける子供と青年達。サンタは背負っているバスケットケースの中のプレゼントをばら撒きながら逃走する。そしていよいよ丘の上の廃墟と化した遺跡のような場所で追い詰められる。カメラはロングショットでその風景を捉え、カットは1台の車の横に立ち一服する中年の男性をとらえる。

その男は車に乗り"ひどい朝だ"と口は愚痴を言う。そして独り言で通りがかりの人たちを罵倒するような発言をする。そしてカメラは暗くなり監督の名前が紹介され、アラブ民族楽器の音楽が流れゆっくりと町中を捉え始めていく。そして"愛と苦悩の年代記"と表示され、先程の男が自宅の中で手紙を読んでいるシーンへと変わる。そこに1台の車が到着する(特に何の説明もなくその場面は終わる)。続いて、パトカーと警察官数人がやってくる。建物の屋上で瓶を警察官に投げつける老人、その男は捉えられ逮捕されていく。そうすると彼はいきなり胸を抑え苦しみ始める。

続いて、冒頭に出てくる中年オヤジが手紙を読んでいる場面へとまた戻る。そうした中いくつかの日常が繰り返し描写されていく。そしてとあるナンバープレートによるおかしないざこざが写し出される(ネタバレになるため伏せとく)。続いてサッカーボールをヘッドストールしている少年がボールを人様の敷地の屋上に誤って投げてしまい、そこの住人が針の様な物でそのサッカーボールを黙って何事もなく刺してしまう。

続いて、毎日ゴミを捨てている(きちんとゴミ袋に入れている)男性が隣人の女性に自分の敷地にそのゴミを捨てられていることに注意する。隣人の女性はあなたのゴミをあなたの敷地に戻しているだけと言う。男は恥を知れ、何のために舌があるんだと言い、文句があるなら直接言えと激怒し、その場を去る。カットは変わり、また同じく手紙を読む男のシークエンスに変わる。そしてサッカーボールの少年の描写、3人の男がバットを持って何かを叩いている描写が引きに撮られる。そしてもう1人の男が拳銃でそれを打つ。それを見る野次馬、どうやら蛇を殺したようだ。少年がガソリンを持ってきてそれを大人たちが燃やす。

カットは変わり、冒頭の男性が心臓発作で倒れる。そしてカットは変わり、運転しながら果物(アプリコット)を食べその種を車窓から投げたら戦車にあたり戦車は大爆発するシーンへと変わる。どうやら冒頭の男性は父親らしく、運転して病院にやってきた男は息子のようだ。そして新たにキーパーソンになる女性も現れ、物語は佳境へと加速していく…と簡単に説明するとこんな感じで、




いゃ〜受ける、ただその一言。シュール、腹黒、ギャグセン高めなムービーである。ほぼ、遊んでいる。

車が邪魔だと相手側に伝えて、相手側が色々とナンバーは?どの車だ?色は?とか言い始め、その男がナンバープレートをとってきて車のセンサー音が流れて、番号をその場で読み上げてナンバープレートを路上に捨てるシーンはなんとも面白い…。それにターミネーターのサラコナーが登場したかのような車からサングラスをかけたロングヘアの女性が軍隊の敷地に歩いて行くシーンも面白い。超自然現象が起こって建物が崩壊していくところなのだが…うける。


それにエルサレムのとある教会に行きたいと、多分アメリカ人観光客の女性だと思うのだが、現地の警察官に聞くのだが、英語がわからないため護送中の犯罪者の男に(英語を話せる)女の子を助けてやれといい、車から出して目隠しのまま道案内するシュールな場面も面白い。自分が今どこにいるかもわからないのによくあっちに行って左に行って右に行ってなんてでたらめなこと言えるなと思う。

それと車内で主人公のエリアと女性が手を絡ませる固定ショットの魅力的なエロスがたまらない。音楽もかなり良い。それに病院内で男がピンクの病院着を着て2人で仲良くタバコを吸いながら1つの点滴を手に持ち往復する(廊下)シーンも非常にユーモアがあって面白い。

それと笑えるのがあって、とある住宅街に車が真夜中にやってきて、1回目は爆弾みたいなを投げて炎上させて、それをそこの住人が消火器を持って外へ出て普通に消化している場面と同じく2回目に家に向かって銃撃されて窓ガラスなどを破壊される場面とかも面白い。これって要するにこういった日常なんだよって言うのを世界に伝えているんでしょう…なかなか厳しい現実だけど皮肉っていて非常に良い。

こんな日常俺だったら嫌だよね。真夜中に銃撃されて起こされて、真夜中に爆弾投げられて庭が大炎上するって…、。それに荒地で銃撃戦の練習をする兵士たちが音楽に合わせて奇妙な踊りをしながら標的に向かって銃の打ち方をする場面も面白い。しかもその場面さらに実物上の女性が現れて、もはやゲームのラスボスみたいなビジュアルを残して、チート的な能力を使って相手を全滅させるんだけど、かなり非現実的すぎてもはや何を見せられているのか全くわからないが、国の国旗に色が変わったり(地面が)色々とメッセージ性は伝わる。もっと深く言及したいがネタバレになるため見てからのお楽しみと言うことで…。

とりま大型のギャグを炸裂させる前半の面白みから、後半の監督自身が主演を務め登場するシリアスな場面までのユーモアの積み重ねが観客を笑わせてくれる。そもそも本作のテーマは中東紛争なのだが、深刻な物語をほとんど描いていない。どちらかと言うとコメディータッチを強調し、全編にわたってユーモアとギャグを取り入れている。なのでイスラエルとパレスチナの対立をあまり知らない(歴史的に不勉強な方でも)普通に楽しめると思う。どっちがどっちかなど我々日本人からしたら判断がしにくいが、劇中に色々とヒントが隠されている。例えば車のナンバープレートの色が黄色だった場合はイスラエルの登録車で、白がパレスチナの登録車と言う様に…。

この作品エンディングになると監督の父親に対しての思いに寄せて捧げられていることがわかる。そもそもタイトルの現代の意味は神の手や神のお助けなどそういった意味があるようだが、劇中で男女が手を絡ませるショットが映るのもタイトルから来ているのかもしれない。この作品の主な舞台は3カ所あって、1つ目がイスラエル領のナザレで次にイスラエル占領下の東エルサレムとパレスチナ側のラマダとエルサレムを封鎖するチェックポイントになる。

それにしてもかなり風変わりな人物たちがたくさん登場する。他人の敷地に毎朝ゴミを投げるイカレタおっさんとそれを毎回ゴミを捨て返すおばさんや庭を毎日掃除したり、数字の6にこだわる青年が出てきたり、迷惑駐車をする男、空き瓶をコレクションする老人、ひなたぼっこする老人コンビ等だ。

実際にイスラエルで住むパレスチナ人の心情をも見てとれるのだが、こういったコメディー形式を選択したのは非常に面白い。というか何て言っていいかわからないが、危険な空気をユーモアに移し替えている。日本映画での「家族ゲーム」や「逆噴射家族」のようにトラブルが絶えない、いわゆるご近所戦争や家族戦争のようなピリピリとした演出がギャグとともに展開していくのは個人的には非常に好きである。これは監督自体の何かしらの想像力と喜劇的な戦略スタイルを実行したのかもしれない…。

それにしてもこの作品を見たイスラエル人はきっと誹謗中傷しただろうなと思ってしまう。それもそれで仕方ないことだとは思うが、映画的には非常に素晴らしかった。女忍者が出てきたり銃弾が輪になり女神の様に錯覚させたり、モノローグとして観客にコミットしたり、よく練られている脚本だ。あと、沈黙してるシーンが沢山あって印象的だ。もちろん監督演じるエリアは一言も話さない…それはラストのソファの下りまでそうである。

この作品の最後の圧力鍋のシーンにいる老婆は監督の母親なんだろう…。にしても忍者シーンはかなり金かけてる。色々と大変なお国柄だが、解決法はきっと見つからないだろうな…。マナル役(女)のヒロインであるマナル・ハーデルはこの作品ではクールに決めていて、基本的にセックスアピールのみで台詞を一言も喋らない徹底ぶりをしていた。

この作品、面白いことに1993年のオスロ合意によって、ヨルダン川西岸地区とガザ地区がパレスチナ自治区とされているが、自治区の多くでイスラエルの軍事行動による占領が行われ、シオニストによる入植も激しく進んでいる中、忍者に
扮した女が途中で使う盾がなんともパレスチナの地形の形にソックリ(多分そうである)で爆笑する。

この作品を見る前に後にパレスチナ人が抵抗紛争に関わるようになったインティファーダの事を下調べするとよりわかりやすいかもしれない。いわゆるパレスチナ民衆が石を投げて蜂起した抵抗運動で石の革命と呼ばれるものだ。それにしてもこの作品のパレスチナ人とイスラエル人の顔の区別がよくできない。かなり難しく感じる。いつしかの候孝賢監督の「悲情城市」で本省人と外省人の区別がわからなかった時にも感じた。


そしてラストがなんとも意味不明(意味を知ったときかなり爆笑する)な余韻で終わる。これはなかなかの秀作である。この映画を通して色々と記憶が蘇る、湾岸戦争勃発から平和集会でラビン首相が暗殺された事など様々だ。

最後に余談だが、この作品は2002年の米国アカデミー賞の外国語映画賞ノミネートから排除されたとのことである。またカンヌ国際映画祭では史上初のパレスチナ映画として話題を呼んだそうだ。
Jeffrey

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