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切られたパンにのmingoのレビュー・感想・評価

切られたパンに(1968年製作の映画)
4.0
メモ

ギィジル。ジャックドゥミの助監督。困難な状況のもとですべて作られた、短編の予算と技術スタッフ。多くのテレビ作品によって生計を立てていた。パリのメディアでは知られていた、96年に58歳で亡くなった。愛情と軽蔑で贈られた。なぜ作品が届かなかったか。修復をされみれるようになったがまだ充分ではない。フランスで3本セットになってDVD出たり、2014年になってシネマテークフランセーズでレトロスペクティブをやった、ガエルレパングルが書いた本が出た。ドキュメンタリーや人気を支えてきたひとがガエルレパングル。そこからパリのシネフィルの心を獲得した。映画の中の秘密は我々の精神に訴えるものがある。
アルジェリアで生まれ、失われた楽園を作り出そうとする。植民地は問題であってアラブ系は苦悩していた、映画をつくろうとしてパリに出てきた。政治に関する映画ではなく感性や情念に関するものだったから評価されなかった。フランスとアルジェリア、ピエノワールであるということが田舎の従兄弟のようにみられていた。過去に対するノスタルジーを描いていた。ゴダールやトリュフォーの男性主義時代に対して同性愛者だったせいもある。未来を征服するに対し過去へのノスタルジー。ドゥミは「自身のカリカチュア」みたいな映画を撮っていると言っていた。ギィジルは「己の生き様」を示すことが目的だった。ナイーヴで単純化したものだとみられていた。
20歳ギィシッシュ?という本名。戦争に行き、母親が亡くなり、ジレットをもじった。残されたお金で「消された太陽」という短編を撮る。地上の輝きはチュニジアで撮られている、エレジー。母親と息子は一方的。息子の死は母親の死を引き出す。それは子供時代であり、楽園である。消された太陽は出発のことを語っているが、アマチュア的に自身の撮り方をしている。スターであるジャンマレーにお願いしたり、意欲はあり。13分しかない唯一出演した消された太陽のモノローグ、(スーツケースを持ち出発する。〜むき出しの心、引きさかれない〜?)ロマン主義的な出発の必然性を感じている。ゴダールや他のヌーベルバーグ勢みたいな距離や解脱を選べない、いつもむき出しの心をもって歩み出す。シニカルになれない。メルヴィルは「海辺の恋」を援助する。地上の輝きはモンパルナス地区など儚く撮る印象派、「人生の宝くじ」など。セリフがかなり多いが書き言葉で書かれている、ナイーヴとか感傷的だが詩的である。編集と色彩。編集は記憶、エクリチュール。思い出は不条理。トーンと場所の破綻。つなぎの正しさはどうでもいい。突飛である。色彩はモノクロの中にカラー、往々にして白黒は現在、記憶過去になると色彩が出てくる。彼なりの発見や撮影があり、ジャンヌモローに失恋したものが「反復された不在」には出ている。反転する庭園、70年代から映画を作ることが難しくなってくる。動くもの、印象派が消えていく。それに対して身体性が強くなってくる。老いてゆく顔が写される。反復された不在は崇高な傑作であると思う。クリスマルケルに通ずる。ユスターシュや自伝語りのガレルとも通ずる。「海辺の恋」はドゥミと同じような場所と同じようなひとと撮ったからローラへのオマージュではない。海辺の恋は無声で撮られた、レネのもので声が撮られた。フランスでは海辺の恋は配給に恵まれず公開されなかった。ポールヴェキアリ、物質の劇場に出演している。
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