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オー・ド・ヴィのktのレビュー・感想・評価

オー・ド・ヴィ(2002年製作の映画)
3.2
この作品において特筆されるべきは、鬼才・岸谷五郎の漂わせる劇的に印象的な雰囲気、そして松重豊の見せる狂気。
この2つである。

岸谷五郎という怪優は、コメディを演じた時にその真価が見られるように私は思う。
コントになりすぎず、それでいて日常から少し浮いている。その絶妙なボディバランスを底で支えているものは彼の演劇界で得たキャリアによるものだろう。その下地が見える事が彼の芝居を色鮮やかなものにさせている。

今作では彼の「本筋」といえるような、雰囲気抜群の艶やかなキャラクターを演じている。コメディ要素はない。欲望に忠実で、それでいて男が憧れるようなかっこよさを持っている。
しかし母の影を追う繊細さも併せ持ち、それでいて精神のバランスを欠いていない。器用、という言葉が適切かはわからないが、この骨太なキャラクターを演じる上で、そのアプローチがまったくの正解であるように感じさせる。最高のキャスティングと、脚本への理解力がマッチした結果であろう。

そしてもう1つのポイントは、松重豊の狂気。
近年、コミカルなおじさんからちょっと毒のあるおじさん、人徳あふれるおじさん、そしてもちろん食欲旺盛なあのおじさんまで、多彩なるおじさん俳優としての立ち位置を確立している彼だが、彼はもともと「狂気」を武器にのし上がってきた人なのではないか、と思わせる好演っぷりだ。

初登場からわずか3分ほどで、アスパラ2本を女のあそこにぶっ刺すシェフ。こんな愉快な役もなかなかないだろう。
しかしそのシーンは息を呑む迫力だった。もし私がぶっ刺される女優の父親なら迷わず「女優はもう辞めてくれ」と懇願したくなるほどに、彼女は狂気にあてられていた。「サディストとは、オードヴィーの松重豊のこと」と広辞苑に記載されていてもおかしくない。
メイキングをみるとわかるが、あのシーンは女優本人も相当な恐怖を感じたようだ。芝居ではなく、リアルであった。
そのリアルを引き出したのは松重豊という大いなる個性と才能と作り上げたキャラクターのおかげであることは間違いない。


最後に、「脱げる」ことは女優にとって価値あることか、リスクあることか。

時代によってその答えは変わってくるかと思われるが、この作品が撮られた時代にはリスクの方が重く見られたのかもしれない。

登場する女優は全てが脱ぐシーンがある。
だが残念ながらその意気込みほどに美しくはない。不自然な腕の位置や体の向きで陰部を隠している意図が見え隠れしすぎて、逆に見ているこっちが気恥ずかしさすら感じる。それが大きくこの作品の品位を落としているように思われる。
唯一、自殺しに来た女性の芝居は眼を見張るものがあるが、脚本がそれを助けていない。

この作品は大いなる魅力を持った2人の俳優、岸谷五郎と松重豊の個々の芝居を楽しむ、という見方が正しい。
それだけに、この2人の共演するシーンがなかった事が残念でならない。この強烈な2人を混ぜて蒸留した時どんな味のオードヴィーが産まれたのか、それをこそ見たかった。これは結果論かもしれないが、ひとりの映画ファンからの正直なつぶやきである。
kt

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