パケ猫パケたん

菊次郎の夏のパケ猫パケたんのレビュー・感想・評価

菊次郎の夏(1999年製作の映画)
4.1

『菊次郎の夏』(1999)


北野武監督、第8作、彼のオリジナル脚本でもある

音楽は、久石譲。今回の作曲も素晴らしく、よくテレビ📺の子供時代の淡い回想場面などで流れている

因みに、菊次郎とは、北野武の父親の名前と同じであり、『菊次郎の夏』ってタイトルは、少し謎めいている。そして、今回のビートたけしの役の、正体が分かると、菊次郎って名前かよ、バカヤロ~って感涙😹したくなる作りに成っている❣️

ストーリー、始め、舞台は浅草。おばあちゃんと二人暮らしの小学生(関口祐介)が、夏休みが暇🌻。ひょんな事から、近所の刺青のおじさん(ビートたけし)が、お節介で、お母さん(大家由祐子)に会わせに、二人で行くとの、ちょっとした下町の人情噺。お母さんは愛知県豊橋市に住んでいるので、ロードムービーとなる。

オイラ🐱、この映画📽️、初鑑賞の時は、麿赤兒(まろあかじ)の変態男が、気持ち悪くて、『菊次郎の夏』自体も苦手な方だったが、今回二回、再鑑賞して、
好きな映画に代わったなぁ🐱

麿赤兒の登場は、あとの、スタジオ撮影の、幻想的な暗黒舞踏に繋がって来る。異空間の惑星の夕焼け🌇の元、笠を被っ手て、縛られたお母さんのエロスと涙💧の悪夢💤🎠💤 戦慄する程の演出だったよ😿

今回、映画📽️で気になった所は、刺青のおじさんが、トラック🚚の運転手を殺めていないか、或いは、夏祭りで半殺しに合うという、死の影が差す点である

ひとつの解釈として、夏は光が強いので、影も深い、だから夏と殺人は隣り合わせみたいな、感覚的な解釈

夏祭りの描写、天狗の夢、更に、夏祭りの後片付けの、淋しい感じなど巧いね

一見、ギャグに溢れた人情噺なのだが、
いろいろ深読みが可能な映画📽️になっていると思う、流石、世界のキタノ🎵


さて、ではオイラ🐱の解釈

テレビ📺の「世界まる見え! テレビ特捜部」などで、悲惨な事件や事故の話題をしたときに、司会のビートたけしは、よく、「こんなのを見ていると、神様っているのかなぁ、と疑問に思っちゃうよ、オイラ」などとコメントしていたのを、オイラ🐱は覚えているよ。 優しいタケちゃん❣️ そして、そのコメントを無視して、司会進行をする、アンドロイドの様に、容姿端麗で、冷たい🍦楠田枝里子😹ww その冷たい楠田枝里子を見て、首を振る、人間観察の鋭いタケちゃん❣️

この『菊次郎の夏』において、語られているテーマのひとつとして、「この世に神様、或いは仏様って存在するのか❓」との、問いかけがあると思う。だから、天使の鈴の描写が数回ある、ファースト・シーンだって天使👼絡みである

因みに、『キッズ・リターン』の時も天使の鈴の描写があって、鈴を持っていたハズのタクシー・ドライバーの兄(あん)ちゃんは事故に遭っている。たがら、その回答のようなものが今回の映画📽️である。

北野武の映画📽️は繋がっている。前作の『HANA-BI』で心中した、ビートたけしと岸本加世子がまた、夫婦役で登場しているので安堵したニャア🐱 岸本加世子は、何故かひょう🐆の顔のブラウスを着けている。そして、北野武は、もう少し明るい映画を撮ろうとしている

さて、神様の件。厳密に神様限定ではなくて、アバウトに、精神的に、人類の上位に立つ存在と考えて下さい🙇

ビートたけし演じる刺青男は、浮き世離れしている。無職で、ギャンブル狂で、金使いが荒い。よく、別嬪な岸本加世子と結婚出来たものだww
そして、夏祭りの屋台のバックにはヤクザがついている事を、知らないのかなぁ、元ヤクザのクセに。

死を操る点、浮き世離れし過ぎている点、根は優しい点から、刺青男のビートたけしは、神様候補なのではないか❓
神様、仏様でも全知全能とは限らない。
たがら、神様であっても、助けるという意思があっても、能力不足で、人間一人一人は、助けられないという、仮説

優しいおじさん(今村ねずみ)も神様候補だろう。兎に角、寛容であるし、石を使った手品は、神業だった

そして、実際に、天使の鈴を運んで来た、デブのおじさん(グレート義太夫)と、ハゲのおじさん(井手らっきょ)も、この文脈では神様候補 井手らっきょが後半、宇宙人(👽と👾)を演じる事により、神様=宇宙人説をしらっと入れてしまう、アタマのいい北野武🎵

キレイなおばあちゃん(吉行和子)も、神様か、天使候補。親切だし、天使の鈴と人形焼きって似てるじゃん、浅草の角のお店に立つ道祖神って感じ

キレイだと、細川ふみえ(ふーみん)も神様候補、手品していたし、優しいし、スタイルいいし、オイラ🐱とオイラ、そら惚れるよね😍

少年の母の真実とか、自分の母の現実を見つめるビートたけしの眼差しの厳しさ、これは神の目・視点だと思う


ところで、映画📽️の方では、このロードムービーは、ド田舎のバス停🚏🚌で停滞する、妙に~長時間

ここで、北野映画📽️始めてなのか、相棒のビートきよし師匠の登場🎵 リアルに楽しそうだったが、ここでの演出は、転調ないしは強調だと思う🎵

なかなか、バス停から映画📽️は進まないし、こんなド田舎にバスは来るのかな~ってオイラ🐱は不安になったよ、
そしたら、夕闇🌆になってきて、雨☔がシトシト降ってきたよ

あっ、これって、宮崎駿の『となりのトトロ』(1988)のパロディじゃんって、オイラ、今回、気がついたわけで、飛び上がったよ‼️  (パケ新説🐱❓)

あのアニメ、音楽も久石譲だし、長時間バロディやっていたわけで👀‼️

国民的アニメなのに、ここのレビュワーさんたちも、多分、気がついていないわけで

たけしのユーモアのセンス、凄いわマジで

ビートたけしじゃなくて、しっかり者の、岸本加世子に旅を託したのなら、猫バス(ФωФ)🚌のように、直ぐに目的地に着けたのかもww (ひょう🐆の服の意味が、わかったよ🎵)

そして、ここで重要なメッセージは、人間は、認識する能力に、大いなるキズ、限界があるわけで、神様が救済の手を差し出していても、人間の方が、分かっていないのでは、と考える事も出来る

あと、人間は、いきなり、目的地や結果を求めるけれども、映画📽️の中で、少しづつ目的地に近づいて行った訳だし、これも救済じゃん

まぁ、最後に、映画の中のビートたけしも真人間に近づいたわけだし、神様の力を借りなくても、親切心で、人間はお地蔵さまや道祖神くらいの存在には成れる❣️ そして、人々の意識の持ち方ひとつで、人間の力だけで、世の中はかなり良くなる❣️って事が、北野武の結論とメッセージではないかな🎵


夏休みの子供の絵日記のような、或いは、やり残した机の上の夏休みの宿題
のような印象を残してくれる🏖️
静寂があり詩的


好きな作品に成ったよ❣️



2022年鑑賞 132、133本目


【後日、推敲します🐱🎵】