まだ知らぬ者

菊次郎の夏のまだ知らぬ者のレビュー・感想・評価

菊次郎の夏(1999年製作の映画)
4.5
子供の頃の青春の思い出は、永遠に自分の記憶として残り続ける。歳をとるにつれて、青春時代の儚さ、もどかしさを思い出して、前に進んでいく。それが大人になるということである。

終始ノスタルジーに浸ってしまった。
子供の頃は人生経験が乏しかったため、早く大人の世界に行きたいと常々思っていた。しかし、実際の大人の世界は生への倦怠感や虚無感で溢れていて、その理想と現実のギャップにひどく落胆している自分がいた。自分の理想とする日常がそこにはなく、楽しい思い出は既に幼少の頃に満たされてしまっていたと。好奇心旺盛で何にでも興味を示せるのは、子供時代がピークであると個人的に思っている。もちろん大人になってからも、新しいことに挑戦して、新しい発見をすることに喜びを感じる経験はある。しかし、感情の振れ幅の度合いが、子供の頃に比べて低いように感じる。それは子供時代に既に経験してしまっているからではないだろうか。新鮮味があるような経験でも、既視感、既知感が感じられるため、感情が揺れ動かされることも少ない。それはまるで何処か熟れていない果物のように。

制作者は自分の心情を菊次郎と正男に委ね、自分の心の声を彼らに代弁させた。正男は母親に捨てられた悲しい現実を知り、絶望の底に突き落とされたような感覚を味わう。自分の居場所はどこにもなく、誰からも必要とされていない悲哀、嘆き、もどかしさ。菊次郎はそんな正男にそっと寄り添い、慰めの言葉を掛けて優しく宥める。それは菊次郎がこれまでの自分の経験として、正男の気持ちが痛いほどわかるからである。正男を救ってやれるのは同じ経験をした菊次郎しかいない。つまり、正男は昔の菊次郎である。菊次郎は正男と触れ合うことで、過去の自分と対話をし、幼少時の悲しくて辛い感情を払拭しようとしている。正男との交流を通して、自分の過去の思い出を清算し、訣別を計った。

幼少時の体験というのは、今後の人生に影響を与えるほど重要な時間である。それが尾を引いて、その人の生き方や物事の捉え方にまで関与する。過去の思い出とどう向き合い、そしてそれをどう処理するかが、私たち大人一人一人に問われている。
人間は過去に戻ることはできないので、今を懸命に生きるしかない。現在と未来の中に時間があって、その時間の中にしか希望も存在しない。だから、人間は前を向いて生きていくしかない。けれども、たまには過去の思い出に浸るのも悪くない。それが良い化学反応となって、物事が上手くいく場合もあり得るからだ。

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