しょうた

西鶴一代女のしょうたのレビュー・感想・評価

西鶴一代女(1952年製作の映画)
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元旦、映画館の梯子。「西鶴一代女」を観て「マチネの終わりに」を観る。
約70年の時を隔てた2本の日本映画は同じような始まり方をする。上手く言えないが、物語るということの意味を考えさせられる何かがある。
前者は田中絹代のお春がそぞろ歩くシーンで始まる。老いた娼婦に身を落とした、その人生の顛末が回想され物語が始まる。終わり近く、まったく同じシーンが繰り返され、観る者は一気にここまでの主人公の軌跡を振り返らされる。
後者は石田ゆり子の洋子が街路をひた走るシーンで始まる。ふと石のベンチに気づいて振り返るが、その意味は観る者にはわからない。ここに至る数年間の物語が綴られた後、まったく同じシーンが繰り返される。観る者はここまでの二人の主人公の軌跡を振り返るとともに、そのシーンの意味を覚るのだ。
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