西鶴一代女の作品情報・感想・評価 - 3ページ目

「西鶴一代女」に投稿された感想・評価

U

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2019.5.16 DVD #114

抑圧的な社会(封建制度)の中で女性が気儘に生きることがいかに難しいのか、という溝口的な主題。
仮にいわゆるハリウッド・エンディングが不可避的にハッピーエンドへ勧善懲悪的に突き進むものであるとしたら、本作は逆に次々と不可避的に不運の方へと引き寄せられてゆく。
諸行無常を実感している夜鷹(田中絹代)が、波乱に満ちた半生を回顧していく。女性が軽んじられる封建社会の悲劇を描いている、ヒューマン・ドラマ。井原西鶴・著「好色一代女」を原作に取っている。

独自の人生設計を許されていないヒロインが、幸せ探しと社会的格下げのスパイラルに陥る。周囲の人々がネガティブなルートへと丁寧にフラグ立てするため、図らずも笑いを誘われてしまう。

公開当時42歳の田中絹代が、少女期から中年期までの成長過程を熱演しており、その類まれな役者力に感心させられる。しかし、さすがに少女期は無理があり、良家のお嬢様プレイに興じている、年増のイメクラ嬢のようになっている。

溝口健二は「女の生き様」を得意にしている、女性映画の巨匠と称されているが、翻ってみると「サディスト監督によるサドマゾ劇」を推量することが可能。ヒロインを徹底的に追い詰めていき、「自分と向き合っている状態」を抉り出す。これは、SM映画の緊縛女優のそれと重複する。
sugi

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3.0
場面代わり過ぎだからイマイチ感情移入できないよな。
重い。崇高。
HK

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3.7
井原西鶴の原作小説「好色一代女」を映画化。監督は「雨月物語」「山椒大夫」などの溝口健二。キャストは田中絹代、山根寿子、三船敏郎などんど

奈良の荒寺に老齢の娼婦、お春がいた。彼女は寺にある仏像を見ていくうちにこれまで付き合った男たちを思い出した。彼女は生まれは豊かで御所に勤めていたが、彼女に以前から思いを寄せていてた若侍の勝之助に宿に連れていかれた所を役人に見つかり捕まってしまう。その後、洛外追放の罰が下り、彼女の転落人生が始まった…

豊かな生まれで何不自由なく生活していた一人の少女が、身分を超えた恋愛をしてしまったが故に、ずるずると人生が下降していき最後は街娼にまで身分を落としてしまう過程を荘厳に描く。当時の身分社会と日本人の陰湿な性格を映像で痛烈に批判している。そして着丈で純粋な少女が腐敗と不条理に溢れた世界に揉まれ最後には自尊心の欠片もない女にまで成り下がる姿には涙してしまう女性も多かったのかもしれない。

溝口健二さんは山椒大夫なども含めて、虐げられる女性をテーマとして扱った作品が大多数を占めるが、その中でも最もシンプルなものなのかもしれない。長い人間の歴史において、女性が軽視されることは世の常であるため、それをとても悲観的に希望も当てずにドキュメンタリータッチで描く所はやはり素晴らしい。

私が好きなラースフォントリアー監督の作品。そして過去に観た「少女ムシェット」などにも共通するのだが、女性が虐げられるのは、ある種弱い立場であるというより、それゆえに持ってしまう着丈さやプライドなどが余計破滅に拍車をかけてしまうような気がしないでもない。一度そのようなドツボにはまってしまうと、男性以上に脱出不可能になるのはむしろ女性なのではないのだろうか。

この映画でも、途中、女中として笹屋に雇われた時も、奥さんの虐めに耐えられればまた変わっていたのではないかと思うといささか可哀想で仕方ない。それを抜きにしても、外的要因でさらに不幸になってしまう過程を観ていると人生は運要素も絡んでくるのかとこっちも悩まされる。

このような、様々な不条理が原因で一人の女性の人生が狂ってしまう映画などは、個人的には大好物なので見れて良かったと思います。

ただ、溝口健二さんの伝統的な撮影方法なので文句は言えないのかもしれませんが、如何せん私長回しのやりすぎが苦手なもんで、ちょっと退屈に思えてしまったのは残念ですね。それでも脚本は大好きです。

いずれにしても観れて良かったと思います。
<転落しても高貴である女性像を描く、溝口の女性賛歌>

まるで坂道を転げ落ちるかのように、身を持ち崩していく哀れな主人公だが、どんなに汚され、下げすまされようと自尊心は失わない、そんな女性像を溝口は高貴な女性として賛美している。
このとき田中は43歳、十代から老年まで見事に演じ切っている。
ワンシーン・ワンカットの長回しや流麗なカメラワーク、格調高い映像美と浄瑠璃を用いた伝統音楽が作品をより高貴なものにしている。
画質、音質ともに粗いことが惜しまれる。
溝口の作品に「近松物語」があるが、共通するのが物語の面白さ。
近松のヒロインは健気だが、西鶴のそれはしたたかである。
※映画のあらすじはブログ『偏愛的映画案内』をご覧ください。
「このような女がいてほしい」ではない。
カメラがいつも遠くから人々を追いかけて、どうにもできない感、なすがまま
仏像群を、それまでせんど翻弄されてきた男(としての人々)の顔に似ている、といって夜鷹仲間に笑ってみせるくだりの凄み からっとした冷笑と諦め、「女にそうであってほしい」救いがこれなのか。

みていると女であることが惨めになる。おんなどうしでさえ、殺し合うか慰め合うことしかできない。
男や女に生まれるということは、男でも女でもない何者かにならなくてはこれ以上この世で生きて居たくない、という実現不可能な願望を抱えることではないだろか。
【封建制度下で生きる女の遍歴】
父親をはじめとするあらゆる男たちにたらい回しにされるお春の人生を描く。それはもちろん肉体的・精神的に彼女は「物」として扱われていく。ただただ悲しく、それは次第に怒りに代わるほど悲劇的な物語である。溝口健二の長回しテクニックと共に、彼が描く悲しき女性を堪能できる名作。