あやか

僕たちは世界を変えることができない。 But, we wanna build a school in Cambodia.のあやかのネタバレレビュー・内容・結末

4.3

このレビューはネタバレを含みます

高校生くらいのときからずっと見たかったけど見てなかった映画。やっと見た。

話はpvやタイトル通り予想できるストーリーで驚きの展開とかはなかった。けど、映画として、ストーリーとしてみてよかった

今、私は大学三年生(12月)でこれを見た。田中君(向井理)は大学一年生での飲み会、コンパ、その場は楽しいノリや話を過ごしていたが、それに物足りなさを感じていた。その気持ちがすごくよくわかる。私は特に飲み会とかコンパ三昧な生活は送ってなかったけど、日本に帰ってきて、大学始まって、大学での生活も慣れてきた一年生の夏頃から物足りなさを感じていたし、何なら今でも時々感じることがある。何かに打ち込める、真剣に取り組んでる時って社会に貢献しているとか大学内の話であるとか関係なく、自分にすごく生きる意味を感じられると思う。そういう意味で自分の活力にもなってるし笑顔の源になってるんじゃないかって思う。
田中君がメールを送って、集まった矢野君(窪田くん)と橋本君(柄本くん)で話してる場面。田中君の周りに「なんでこれをするの?」って聞く矢野君がいてよかったと思うし、いることがいいなと思った。この「なんでカンボジアに僕たちが学校を作るのか」って質問は映画を通してずっと語りかけられることだ。
それは本田君がノルマの発言をしたミーティングの時にも現れた。「なんでカンボジアなの?日本にも助けを必要としている人はたくさんいる」「なんで学校っていう建物を作るの?問題はその先にある先生不足とかじゃないの?」って。そういう自分の考えと意見を持った人が周りにいるのが貴重な環境だ。そういう人たちはもしかしたら別のアプローチや別の問題に対して解決策を模索することでこの世をよくしていくのかもしれない。そして、そういう質問や意見は自分が設定した目標を問い直す切っ掛けになり、自分がしたいことを見つめ直すことになる。田中君は最初はただただ自分の退屈な日常を変えるために始めたことだったけど、それがだんだんと変わってくる。カンボジアに実際に行ってみて、見たもの感じたことを元に行動していく。
でも、行動するまでにも停滞期があった。周りから偽善者呼ばわりされたり、橋本君みたいに多くの情報に当たりすぎて自分を無力に感じ、ただただ「わからない」っていう状態になったり、田中君みたいに「なんで自分がカンボジアに学校を建てるのか」っていう理由の答えを考えてみるけど見つからなかったり。考えてる時にデリヘル呼ぶけどどうしたらいいかわからなくなったりずっと膝枕してもらったりする頭のモヤモヤ、すごい理解できた。そうやって悩んだから、この夏。女の人が帰って電気つけた時に田中くんのTシャツの後ろに”do Live on”みたいな文字が書いてあって、これから前に進む感が出てた。「考えてもさあ、答えなんて出ないんだよ」って田中君がリリーフランキーの店で言う。これはすごく大切なセリフだと思った。考えてもわからない、答えが出ない、けどやらなきゃいけない、やりたいと思う気持ちがある、その覚悟があるってだけで行動する理由になるんだと思う。そうじゃないと手遅れになったり(矢野君がソフィさんに青空を練習したのにソフィさんが亡くなってしまったり)取り返しのつかないことになったりして後悔するんだ。最初の動機は自分勝手な、自分の生活を楽しくしたいって恣意的なことだったかもしれない。けど、まず自分を楽しませなきゃたぶん他の人には何もできないし、結局人はみんなある程度自分の幸せのために何かをしていると思うからそれはいいと思う。

これを見てて、私はたぶん大学のうちから何か大学内だけじゃなくて何かしら社会にインパクトがあることがしたいと思っていたのかもと思った。学内じゃなくて社会で何かがしたい。だからインターンとか仕事体験とか積極的だったのかも。

最後の方に、裸になって「人のためになることをやるのは時に自分のためになることをやるよりも幸せに感じることがあると思うから」みたいなことを言っていたけど、確かにそういう時もあると思う。けどそれも結局は自分が気分良くいたいから、幸せでいたいからっていう自己満だったりするとも思う。でも、ウィンーウィンになることができる。自分が幸せに思って、その行動によって間違いなく幸せになっている人がいるのなら、それはwin-winだ。そういうwin-winな関係を構築したいし、そういうのがこれからの社会を動かしていく、人を動かす原動力になるんじゃないかと思う。例えば、投資家には長期的なリターンがある、それを行う間に途上国の子どもには教育が与えられる、とか。

私は正直、途上国の貧困とか難民問題とか興味がない。というのは、あまりにもその本当の姿を見ていないからなんとも言えない。そこで「かわいそう」とか「私たちが助けてあげなきゃ」とかっていうのはすごく上から目線だと思うし、お前は彼らの何をわかってそんなこと言ってんねん、って思う。だけど、今教育を受けられない子供たちや広い世界に触れる機会なく、家の農作業を手伝うだけで1日が終わる子供たちには教育を受けてもらいたい。それは彼らの可能性を広げると思うから。そして、それも結局自分のそうしたらもっと面白い人、考え方が違う人に出会えることができるかもしれないっていうわがままから来てるんだけどね。

大学入る前に見ておけばよかったかもとかってちょっと最初の方思ったり見る前の時も大学1年生くらいで見た方がよかったかもって思ったりしたけど、全然。むしろ今見てよかった。大学3年生、冬。

スラット君が地雷除去終わったけど家の手伝いするから学校行けない、っていうシーン。本当にそういうのはあると思う。映画ではなんか説得されて学校行ってから手伝うことになったけど、現実ではあんなふうにはいかないと思う。子供にも家族の手伝いをしなきゃって意識が少なからずあってわがまま言えないんだと思う。そういうのをシステム的に変えられないかな。変えたいな。

世界を変えることができない、but we wanna build a school in cambodia. Because, we want to make smiles there.ってことなんだと思う。個人一人一人の幸せが世界の幸せになるから。
あやか

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