Naoto

サテリコンのNaotoのレビュー・感想・評価

サテリコン(1969年製作の映画)
4.0
ローマ三部作の二作目。

原作はネロ帝臣下で"趣味の権威者"の名を冠したペトロニウスの同名小説で、人類初のピカレスクロマン(悪漢小説)とされている。

三部作一作目の「甘い生活」が現代のローマの退廃とフェリーニ脳内の退廃がリンクした映画であったならば、本作は古代ローマの退廃が広義に人間の退廃とリンクする。
「甘い生活」の退廃を普遍化した格好となる。

「甘い生活」にしろ本作にしろ、まず退廃した世界が在る。思想の出発点はペシミズム(厭世主義)。
これを超克する過程で、肯定力の高い思想を生み出す必要があった。

大枠は二つとも同じ。

大きく異なるのは、論証の過程だと思う。
「8 1/2」を通過する前の「甘い生活」では、意味を丁寧に追いながら肯定感にたどり着こうとしていた。
ところが行き詰まってしまい、身動きが取れなくなってしまった。

翻って「8 1/2」を通過した後の本作では、意図して意味を無化しながら答えに迫って行こうとしていたように思う。

男色、女色、饗宴、カニバリズム、磔刑、火炙り、拷問、虐殺、ダイダロスの迷宮とミノス。
こうした多くのイメージが、祭り的映像を駆使して取り止めもなく画面を行き来する。
副次的な意味合いは持たせず、ただただ象徴化するに留める。
そして退廃はカリカチュアライズされて、意味から解脱する。

反復動作が多用されていた点も大きな変化かもしれない。
慨嘆する人、恍惚する人、天を仰ぐ人、手を振る人、多くの場面で反復動作が行われていた。
執拗に繰り返される反復に、時間の輪郭はぼやけ、通常の直線時間的な感覚が薄れる。
時間からの逸脱。

そして浮き彫りになったのは、意味もなく恒常的に存在する退廃した世界。

意味を追えば退廃は実存の問題に直結してまったが、意味を追わなければ退廃は退廃として在るだけになる。
そこで完結して実存の問題には行きつかない。

「甘い生活」と「サテリコン」
似たように退廃を描きながらフィルムに映し出された世界は全く違って見えるから面白い。

"哀れむべきはわれとわれ、
まごうことなく人みな無、
かくてありしは人のつね、
死神われらを連れしとき、
さればともども楽しまん、
この世に生のある限り"

(サテュリコン/ペトロニウス)

人間の退廃はすっぽりと丸呑みにされて、刹那主義的な淡い快楽の残影だけが後には残っていた。
Naoto

Naoto