「独裁者」以来7年ぶりに製作された作品で、その恐ろしいタイトルに戸惑いながら鑑賞。
そこには、お馴染みのチャーリー・スタイルも喜劇色もなく、タイトル通りの殺人鬼がいた。
チャップリン扮するアンリは失業した銀行員。妻子を養うために裕福な女性と重婚し、殺害しては金を奪って株に投資。
見慣れないその姿に戸惑った。「笑い」の対極である「殺人」は彼らしくない。みんな大好きアンパンマンが「愛と勇気なんてクソくらえ」と歌いながら町をメチャクチャに破壊する程のショック…。
殺害する場面は映さず、なぜ居ないのかを想像させる。素早い指先で金を数える場面はコミカルだが、心に鉛のようなものを感じて笑えない。
アンリは何人もの女性を手にかけたシリアルキラーだが、その手口は完璧ではない。雨の日に出会った女性は、彼女が語る身の上話で思いとどまり、重婚相手のアナベラに至っては何度も失敗。
「成功」は映さず「失敗」を見せ、その意図はラストの裁判で語られる。
「大量殺人者としては、私などアマチュアだ」
「1人を殺せば犯罪者だが、100万人殺せば英雄となる」
彼にとって殺人は妻子を養うためのビジネスに過ぎなかった。戦争も軍需産業も規模は違えど同じビジネス。
痛烈な戦争批判だ。笑いに背を向け殺人鬼を演じ、大量殺人を引き合いに戦争を叩く。一周回ってチャップリンの願いは「平和」だ。
「悪なしでは善もない」
バイキンマンがいないとアンパンマンの正義はない。だから彼は悪人を演じたのだろう。
被害者遺族の視点で見ると、彼の言葉は自己を正当化するための戯言に過ぎない。そして、国の視点で見ると「赤」となり、アメリカ追放へとつながった。
彼の手段は諸刃の剣だ。戦争がなくなり世界が笑ってくれるなら、チャップリンは悪にでもなる。