ひでやん

チャップリンの殺人狂時代のひでやんのレビュー・感想・評価

チャップリンの殺人狂時代(1947年製作の映画)
4.0
「独裁者」以来7年ぶりに製作された作品で、その恐ろしいタイトルに戸惑いながら鑑賞。

そこには、お馴染みのチャーリー・スタイルも喜劇色もなく、タイトル通りの殺人鬼がいた。

チャップリン扮するアンリは失業した銀行員。妻子を養うために裕福な女性と重婚し、殺害しては金を奪って株に投資。

見慣れないその姿に戸惑った。「笑い」の対極である「殺人」は彼らしくない。みんな大好きアンパンマンが「愛と勇気なんてクソくらえ」と歌いながら町をメチャクチャに破壊する程のショック…。

殺害する場面は映さず、なぜ居ないのかを想像させる。素早い指先で金を数える場面はコミカルだが、心に鉛のようなものを感じて笑えない。

アンリは何人もの女性を手にかけたシリアルキラーだが、その手口は完璧ではない。雨の日に出会った女性は、彼女が語る身の上話で思いとどまり、重婚相手のアナベラに至っては何度も失敗。

「成功」は映さず「失敗」を見せ、その意図はラストの裁判で語られる。

「大量殺人者としては、私などアマチュアだ」

「1人を殺せば犯罪者だが、100万人殺せば英雄となる」

彼にとって殺人は妻子を養うためのビジネスに過ぎなかった。戦争も軍需産業も規模は違えど同じビジネス。

痛烈な戦争批判だ。笑いに背を向け殺人鬼を演じ、大量殺人を引き合いに戦争を叩く。一周回ってチャップリンの願いは「平和」だ。

「悪なしでは善もない」

バイキンマンがいないとアンパンマンの正義はない。だから彼は悪人を演じたのだろう。

被害者遺族の視点で見ると、彼の言葉は自己を正当化するための戯言に過ぎない。そして、国の視点で見ると「赤」となり、アメリカ追放へとつながった。

彼の手段は諸刃の剣だ。戦争がなくなり世界が笑ってくれるなら、チャップリンは悪にでもなる。
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