キューブ

グッドナイト&グッドラックのキューブのレビュー・感想・評価

5.0
 全編モノクロで描かれたこの作品。バックには洒落たジャズが時折流れ、眉間に皺を寄せた男たちが、タバコの煙をくゆらせて討議を繰り返す。非常に静閑としていて、人によっては退屈に思うかもしれない。
 だが私はこの映画ほど、力強く観客に訴えかける映画は目にしたことが無い。ジョージ・クルーニーの監督としての手腕は間違いない。
 映画はマローとその仲間たちが番組制作について討議し、マローが出演、終わってから視聴者の反応を見てまた討議する。ほとんどのシーンはテレビのスタジオ内で行われ、登場人物もさほど多くない。その登場人物たちもほとんどが感情を露にせず、台詞も限られたものだ。
 顕著なのは主人公のマロー、その人である。会議でも滅多にしゃべらず、笑うことも少ない。怒りを表に出さず、常に冷静沈着なアンカーマンだ。しかし演じるストラザーンはマローをただの紳士としては描かなかった。彼のうちには自由と人権を侵害する者への怒りで満ちあふれている。それはテレビを通して視聴者に語りかける彼の目を見れば分かる。まっすぐとこちらを見据え、よどみないナレーションを披露する。そのあまりの気迫に目を背けることができない。
 だが力強さだけでなく、マローの人間的な脆さも忘れていない。番組の開始前と終了後、彼の表情は安堵の気持ちとは正反対である。顔には不安が陰り、貧乏ゆすりをしてまったく落ち着いていない。ロバート・ダウニー・Jr演じるジョーがこんなことを劇中で言っていた。「自分たちは本当に正しいのだろうか。」彼らにも正解は分からないのだ。もしかしたらマッカーシーの赤狩りは正しく、国家を危機から守っているのかもしれない。愛国心から動いていても、自分たちの行動はアメリカを脅かすものかもしれない。
 この2つの相反する彼らの気持ちが、ジャーナリズムそのものを表している。彼らはそのとき知る由もなかったが、私たちは赤狩りが間違っていたことを知っている。共産主義者の摘発、と言う意味では無い。憲法で保障された人間の権利と自由を侵害した点で赤狩りは間違っていた。マローたちの戦いは勝利に終わったのだ。
 その勝利までのプロセスで失ったものは大きい。その代償を知り、冷静なマローが初めて動揺を見せるぐらいだ。しかし最後の彼のスピーチを聴くと、この戦いは無駄ではなかったと分かる。人間の自由と権利を静かに訴えかけ、テレビの存在意義を力強く述べる。現在、彼が目標としていた理念は達成されたとは言いがたい。だからこそ彼のスピーチは私の心に深く刻み込まれ、深い感動を呼んだのだろう。
(12年11月13日 BS 5点)
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