KAJI77

髪結いの亭主のKAJI77のレビュー・感想・評価

髪結いの亭主(1990年製作の映画)
3.6
「彼女がたとえどんなに素晴らしい女性であったとしても(いや、素晴らしい女性であればあるほど)、あなたはその瞬間から既に彼女たちを失うことを考え始めている。」
『女のいない男たち』村上春樹


セザール賞受賞者、パトリス・ルコント監督に初挑戦…!🇫🇷
理容師に惚れ込んだ一人の男のフェティシズムを耽美的に描き上げたフランス映画、『髪結いの亭主』(1990)を鑑賞しました…!🎞


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………とは言ったものの、「果たしてこれはそんなに綺麗なものなのか?」という事には疑念を憶えざるを得ません。

たしかに、フランス映画特有の文学的な語り口や、暖色のカラーリングで捉える色彩豊かな画面は感性を刺激し、甘美で緩やかな日常と「愛」のかたちを縁どってはいるのですが、でも、この作品はそんな単調なものではない?と思います。

その実、ここで描かれるものは「愛」という服で綺麗に着飾った「無」についてであり、同時に「無」の香りを身に纏った究極の「愛」について。
この愛情の在り方を頭ごなしに「美しいもの」だと定義してしまうのはたぶんモラルに反するし、梶岡にとっては些か意味不明な作用・反作用が、この作品では展開されていました…。
ということもあって、残念ながら映画としてはあまり入ってこなかったというのが率直な感想です。
(単に僕が恋愛映画に疎過ぎるだけの可能性も大いにありますw😑😑)


…余談ですが、「恋愛」についてのお話が作品として成立する事には常から奇跡的な偶然を感じております。

というのも、恋や愛は論理的に捉え直せば、つまるところ「生体欲求」への大いなる誤解であって(生きる為に恋をしない種も数多いる)、それそのものが後天的な価値観であるのにも関わらず、マジョリティが「わかりみか深い😍」と口を揃えるこの異様な現象を、小学生のくらいの頃から体験できるというこの妙。

純度100%の、ピュアっピュアな集団幻覚

説明出来ない所にあるからこその「空間時間的な奥ゆかしさ」や、根底的にはお互いの気持ちを理解し合えないという意地悪な性質から生まれる「甘酸っぱい無意味さ」というのは今作も例外なく溢れ出していて、僕の如き体積の少ない若造には、到底受け止めきれないものでした…。🙃🙃🙃

もっと大人になってからまた観てみたいと思います…。
本当はもっと魅力的な作品なのだろうけど、ちょっとスコアは低めにしておきます。
パトリス・ルコント監督、ごめんなさい…😖
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