ハル

キング・オブ・コメディのハルのレビュー・感想・評価

キング・オブ・コメディ(1983年製作の映画)
4.5
ルパート・パプキンなる青年は、コメディアン志望の、頭のネジが何本かぶっ飛んじまっている男である。自分には才能があると思い込み、そのために、多くの客から喝采を浴びることを信じている。

そんな男が目標と定めるコメディアンに、ジェリー・ラングフォードがいる。アメリカのTVショーを席巻し、芸能界のトップに君臨し続ける彼は、まさに喜劇王の名に相応しい。

或る夜、テレビ収録を終えたジェリーが熱狂的なファンに囲まれて局の裏口から出てきた。その現場に居合わせたパプキンは人波からジェリーを救い出す。

ジェリーはパプキンを体よく追い払うため、「今度、事務所にネタを録音したテープを持ってこい」と適当なことを言うが、言われた本人はまさかの勘違い。コネを取り付けたと本気で信じ込み、スターへの階段も目の前と、妄想をどんどん膨らませていく。調子に乗ったパプキンは、好意を寄せる黒人女性・リタにアプローチを仕掛け、彼女の前でスター気取りの振る舞いさえしてみせる。ところが、現実はそう甘くはない。

パプキンは、ジェリーの事務所に足繁く通うも、ことごとく門前払いを受け、遂には危険人物扱いされてしまう。諦め切れない彼は、妄想と狂気の果てに、常軌を逸した行動に打って出るのだった。

マーティン・スコセッシ監督とロバート・デ・ニーロがコンビを組んだ今作は、しばしば、「タクシードライバーの喜劇版」と評される。なるほど、パプキンの狂気は、ベクトルは違えど、トラヴィスのそれと重なる部分がある。

トラヴィスのそれは孤独や絶望感に端を発した狂気だったが、パプキンのそれは、単純に根拠のない自信と勘違いにより生まれた狂気である。

妄想が膨らむのを他所に現実で空回りしていくパプキンは、観客の笑いを誘うと同時に恐怖をも植え付ける。あたかも、笑いと狂気が一枚のコインの表と裏で繋がっていて、その間を針が行ったり来たりしているかのようだ。

だが、最後まで観ていくと、そこには、哀しみも含まれているのが分かる。

ルパート・パプキンの存在は、その生い立ちも含めて哀しい。哀しいからこそ、それまでの激しい思い込みやそれによって生じたぶっ飛んだ行動を、何となく許せてしまえる。そして、同時に、勇気と感動をも味わうことになる。

「どん底でいるよりは、一夜の王でありたい」

このセリフに心を突き動かされた方々は多いことだろう。とりわけ、夢を持っている人々は大いに感動したに違いない。

根拠のない自信と勘違いは、例え、それが狂気に映ったとしても、夢を叶えるためには必要な原動力である。

パプキンの場合、いささか、やり過ぎの感はあったにしても、それを持っていたからこそ自分自身を奮い立たせることができたのではないか。

そして、その姿が哀しいからこそ、多くの人々を惹き付けたのではないか。

ルパート・パプキンなる人物は、笑いと狂気と哀しみが一つに溶け合った、不思議な空気を持っている。そして、その存在こそが、とりもなおさず、今作の世界観を構築している。喜劇を含めたお笑いが目指すべき、究極の形が、ここにはある。
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