ベイビー

キング・オブ・コメディのベイビーのレビュー・感想・評価

キング・オブ・コメディ(1983年製作の映画)
3.9
10月4日から公開される「ジョーカー」の予告編がYouTubeにあったから興味がてら観てみたんです。

そしたら早々にジョーカーの不幸話みたいなシーンから始まって、なんか若かりし彼がいじめられていたり、叶わぬ恋を匂わせるカットがあったりして、もの凄く人間臭さを感じてしまったんです。それで僕はすっかり萎えてしまったんです。

ジョーカーと言えば、ティム・バートン監督版のジャック・ニコルソンも良かったのですが、やっぱりノーラン監督のダークナイト版でヒース・レジャー演じたジョーカーが印象深いですよね。

ダークナイトのジョーカーが良かったのは、ヒース・レジャーの渾身の演技が際だったのもあるのですが、ノーラン監督がしっかりキャラ設定を確立されていたからだと思うんです。

ざっくり言えば、「バットマン・ビギンズ」は、「正義とは何か?」というテーマの物語。両親を殺されたブルース・ウェインが求める正義。それに対しラーズ・アル・グールが率いる影の同盟が理想とする偏った正義。どちらも同じ正義なのですが、主語が違えば主義も当然違うわけで、そういった正義の選択を迫られたバットマンが葛藤しながらバットマンなりの正義のあり方を見つけていく物語だったわけです。

「じゃあ、悪ってなんなの?」という次なるテーマが「ダークナイト」だと思うんです。

バットマンが望む「悪を一掃したい」という正義。正義を正当化するためには「じゃあその悪って何? 」っという答えをはっきりしなければなりません。その疑問を分かりやすく描いているのが、腐敗した街ゴッサムシティの存在です。

ゴッサムシティという都会では、色んな人が行き交い、色んな感情が生まれ、欲望と闇がうごめき、犯罪の巣窟として悪がはびこっています。その犯罪という悪を生み出す先には、必ず人の弱さが見え隠れします。

先程(ビギンズ)の偏った正義感からテロが生まれます。暴力を使って己の権力を保ち、金の為に犯罪を犯し、時には愛の為に過ちを犯すことだってあります。

このように"悪"とは人の堕落で生まれるもの。よく「ダークナイト」で人が吊り下げられているのは、その"堕落"のイメージだと思われます。

しかし、ジョーカーの悪業は、彼の心の弱さから生まれるものではありません。「悪があるからバットマンが誕生したというのなら、バットマンがいるから俺が生まれたのだ」と、ジョーカーは逆説的な根拠で自分の存在を証明してみせるのです。その発想はまさに狂気です。

人が堕落した悪ではなく、正義から生まれた悪…

例えばですが、
・偏った"正義感"で罪を犯す者をスペード♠️
(ラーズ・アル・グール)
・犯罪という"力"で権力を保つ者をクローバー♣️
(サルバトーレ・マローニ)
・"金"の為に罪を犯す者はダイヤ♦️
(中国人会計士のラウ)
・"愛"に狂い罪を犯す者をハート♥️
(ハービー・デント/トゥーフェイス)
と、根拠が見え見えなありきたりな犯罪をトランプで例えるなら、それこそジョーカーは"joker🃏"なわけで、彼の狂気はどこにも当てはまらない特別な存在として、究極の悪の姿がそこにあるのです。

僕が「ジョーカー」の予告編を観て萎えしまったのはこんなことが理由で、ジョーカーがジョーカーになる前の人間性を映し出すのは意味があるのかなぁ? と漠然と違和感を感じてしまったからです。

そんなことを思いながら予告の続きを観ていたら、中盤あたりから不意に今作の「キング・オブ・コメディ」の映像が映し出されたんです。

あれ? どういうこと?

と思って観ていたら、あの「キング・オブ・コメディ」の世界観が、映画作品として劇中で引用されたものでなく、実際に起こった事件として、ちゃんとその世界の歴史として描かれているわけなんですよ。

へー、面白いことするなぁ。

と、少し前のめりになっている自分がいて、少しずつ作品にも興味が湧きかけた次の瞬間、現在のロバート・デ・ニーロ… いや違う。現在のルパート・パプキンがそこにいたんですよ!

え、コレどういう世界観?
何が起きてんの?
何がどう繋がってるの?
もう、誰か教えてーー!

過去の作品が劇中で引用されているならまだしも、フィクションの世界観を他の作品の世界観にくっ付けちゃうってどういうこと? って思ったんです。

もう、それから興味がMAXに上がりましたよ。それでフィルマで「ジョーカー」を調べたら、すでに試写会を観られた方々の評価か異常に高く、なんならヴェネチア国際映画祭で金獅子賞まで貰って言うんですよ。

そりぁ絶対観に行くでしょ! ってことで、今回はそのための予習で久しぶりに今作を観てみることにしました。

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とにかくルパート・パプキンの頭はおかしい。その役を完璧に演じたロバート・デ・ニーロの頭もおかしい。「タクシー・ドライバー」のトラヴィスとはまた違う狂気がこの作品には描かれていました。

"自分はコメディアンになって有名になる!"

Bigになるためには、そんな意気込みはある程度必要ですし、強い信念というものが無ければ、何事も成功なんてしないのですが、パプキンが持っているものはどうやら"信念"というものではなさそうなんですよね。

彼から見えるものは"根拠のない自信"で、自分に才能があるのかないのかは関係なく、自分の成功を信じて疑わないのです。

その姿はまさに狂気で、その狂気は虚言と厚かましさを繰り返し、彼の行動は徐々にエスカレートしていきます…

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この作品に描かれている狂気は、パプキンだけではないと僕は感じました。それは日常刺激を求め、新しいもの見つけ出そうとする世間も狂気の対象だと思えてしまいます。

新しいものはすぐ古くなり、刺激に慣れてしまえば更なる刺激を要求する。

冒頭でのファン心理はまさにその象徴で、集団で熱狂するその集団心理こそ、パプキンという狂気を生み出したのだと思いました。

そう考えて行くと、この作品と「ジョーカー」との繋がりがぼんやり見えてくる気がします。

狂気の歪みから生まれる狂気
悪の歪みから生まれる悪…

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のちに調べて分かったのですが、「ジョーカー」でデ・ニーロが演じるのは、「キング・オブ・コメディ」のパプキンではなく、人気トーク番組の司会者であるマーレイ・フランクリンという役。今作のジェリー・ラングフォードを思わせる役回りを演じるとのこと。

パプキンが出ている! なんて結局僕の早とちりだったのですが、それでも今作が「ジョーカー」にかなり影響しているとのことなので、改めて観て良かったです。

何はともあれ「ジョーカー」の公開が待ち遠しいです。
ベイビー

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