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全身ハードコア GGアリンのKuutaのレビュー・感想・評価

全身ハードコア GGアリン(1994年製作の映画)
4.0
「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」が頭から離れない。自分なりに言葉を重ねても、トッド・フィリップスがなぜあれほど変な映画を撮る必要があったのか、イマイチ納得できていない。こういう時は愚直に原点に立ち返ってみる。彼の最初の映画を見ると、テーマが変わっていないことがわかってきた。

1980年代から90年代に活動したアメリカのパンクロッカー、GGアリンのドキュメンタリー。音楽はわりと普通のパンクに聞こえるが、パフォーマンスはハードコアそのもの。全裸で客と殴り合い、脱糞して体に塗りたくり、自傷行為で血まみれになる…。アメリカのアンダーグラウンドで伝説的な存在だった「最悪の憎まれ者」GGの破天荒な生涯を伝えている。

・こちらが勝手に重ねてみてしまう部分があるとはいえ、GGアリンはジョーカー2部作の原型にしか思えない。

彼には幼い頃から友達がいなかった。学校でうまくいかず、ドラァグクイーンの真似をした時期もあった。精神疾患のある父親から虐待を受けていたとされる。あらゆるものを憎み、仕事をしろ結婚しろ、そんな社会の要求から逃れて自由に生きる手段が音楽だった。多くのアメリカ人が「考えもしない」人々の代弁者であり、彼に共鳴する熱狂的なファンがいた。

ファンやバンドメンバーの言葉。
「地球上の負け犬を吸い寄せる磁石みたいな存在」
「みんな彼のライブが恐ろしいと思うかもしれないが、そういう人にこそ行ってほしい。自分にとってはコメディみたいなもの。彼が観客をぶっ飛ばし、大暴れする時に満たされた気持ちになる。笑えて恐ろしいエンターテイメント」

・コメディという表現は言い得て妙で、パフォーマンスは恐ろしいのだが、締まりのない体に安っぽいタトゥー、摘発に来た警察に難なく捕まり、観客にも殴り返される姿や、ステージ上での自殺を何度も予告しながら死なない姿には、ある種の哀愁やおかしみがある。トッドフィリップスはそういう要素を的確に捉えている。

ニューヨーク大学でライブやろうとして警備員に連れていかれ、2度とここに来ませんと誓約書を書かされる場面。テレビ番組に「お騒がせミュージシャン」として出演した時の映像、ちょっとバカにした空気が司会者から漏れている。アーサー・フレックそのものだ。

・「狂信的なファンにいつか殺されるかもしれない。音楽をやっていなかったら人を殺していると思う」というGGのカルト性。彼がたびたび、獄中のジョン・ウェイン・ゲイシーに会いに行っていたというのが衝撃的だ(ジョン・ゲイシーはピエロの仮装で福祉施設を訪れ、30人以上を殺した連続殺人鬼。裁判では多重人格による無罪を主張したが死刑になった)。フォリアドゥのストーリーそのまんまじゃないか

・観客にボコボコにされてバンドのツアーは中断。GGは刑務所に入り、最後は薬物中毒で亡くなる。カメラは真っ黒に腫れ上がったGGの顔にじわじわと寄っていく。

「個人的には、GGにはステージ上で死ぬ、誰も無視できない終わり方を望んでいた。だが、彼はよくあるロックスターの死に方をした」。トッドフィリップスの静かなナレーションが、1人のアウトサイダーの物語を締めくくる。やっぱこれフォリアドゥだな
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