LalaーMukuーMerry

パパは、出張中!のLalaーMukuーMerryのレビュー・感想・評価

パパは、出張中!(1985年製作の映画)
4.4
気になる監督、クストリッツァの作品に久々に接した。最後に見た「ジプシーのとき」は私にはイマイチだったので、期待と不安の両方でしたが、この作品は私の知っているクストリッツァではなかったので、まずそれが驚きだった。ジプシー音楽をバックに、今の日本人から見たら、どうしようもなくいいかげんで、だらしなくて、でも愛すべき人間たちが繰り広げる、混沌とした不思議WORLD、そしてたくさんの動物。こういった特徴がほとんどない。こんな作品も撮れるんだ、って言うか、処女作だからまだ作風確立の前ってことですね。けど、とてもよい作品だった。
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私は、ノスタルジー+子供目線、の作品には心惹かれる質なので、この作品にははまった。監督と同じ年生まれの主人公のマリク少年は、監督本人の子供時代を重ねているに違いない。日本とは生活習慣も政治体制も大きく違う戦後のユーゴスラビアのかつての生活が、良いことも悪いこともそのまんま、愛情込めて懐かしく描かれているということが画面から伝わってくる。そんな作品でした。
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僕の名はマリク、サラエボ(現セルビアの首都)に住む6歳の男の子。僕のパパは良く出張に行く。帰って来ると家族みんなにお土産をくれるので、パパは大好きだ。ママには口紅をあげたから大喜びだった。
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1950年6月、僕は6歳になったので「割礼」をすることになった。割礼と言うのは〇〇〇〇の先の皮を切り取ることだ。床屋さんと僕だけ別室に入ってそれをする。親戚の人がみんな集まってそれを待っていた。あまりの痛みに僕は悲鳴をあげてしまったけれど、これでお前も男だとみんなが祝ってくれた。
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翌日、パパは出張に出かけたけれど、それっきり帰って来なくなった。ママは悲しんで泣いてばかり。僕とお兄ちゃんは町でお金を稼いでママに渡すこともするようになった。
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ずいぶん経ってからパパから手紙が来た。生きていた!とママは泣いて喜んだ。ママと僕たちはパパに会いにいった。リプニツァ(現在のスロヴェニア)という町だった。パパと会って家に戻ったママは、小学校の体育の若い女先生に会いに行った。僕もつれていかれたのだけれど、グランドのほとりのベンチに座って二人で話をしていたら、急にママは女先生に殴りかかり始めた。一体何があったのだろう?
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それからまたずいぶん経って、パパから別のところへ移るという手紙が来た。そこはダムの建設現場だ。僕たち家族は山の中の小さな町に引っ越してみんなで暮らせるようになった。そこでは、年寄りのドクターが僕たちの世話をしてくれた。そのドクターには僕と同い年くらいの娘がいた。マーシャという名のその女の子にぼくは生まれて初めて恋をした。マーシャは病気がちな子で、いつもベッドで寝ていたから他に友達もなく、僕が来ることを喜んでくれた。
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僕は夜、夢遊病になって家を抜け出て外を歩き回ることが、時々あるらしい。気がついても、その時の記憶はないから困る。ある日、目が覚めたら僕はマーシャの家の中にいた。それもマーシャのベッドに二人で一緒に寝ていたのだ! 夢遊病で家に来た僕をドクターはそっとしておいてくれたようだ。朝、二人で一緒にお風呂に入ることになった。超はずかしかった…
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パパの「長期出張」の本当の理由は、社会主義体制ならではのもので、ダメな大人の事情がいっぱいあって、観客にはすぐにわかるのですが、幼いマリク少年にはわからないはずだから、こんな文章になりました。おかしな大人の現場を彼は最後に目撃するのですが、その意味することさえこの年齢では分からない筈、けれど何かは強く記憶に残る筈。思春期になって、あれは、そういう事だったのかと、やっと気づく、そういう事がいっぱい詰まったお話でした。
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チトー政権時代のプロパガンダ映像や、サッカーのユーゴ代表対ソ連代表戦のラジオ中継がBGMとして何度も流れ、そのころを知る人にはきっと郷愁を誘うのだと思います。この作品の数年後にはユーゴ内戦が勃発し、ユーゴスラビアという国家そのものがなくなってしまうのだから、上映当時とはまた違った格別の郷愁を誘う事でしょう。(このあたり、日本人にはなかなか想像できないことです)