エディ

アンダーグラウンドのエディのレビュー・感想・評価

アンダーグラウンド(1995年製作の映画)
4.3
ボスニア・ヘルツェゴビナの内戦で疲弊しばらばらになった旧ユーゴスラビアの混乱の半世紀を描いた映画。いかにもエミール・クストリッツァの作品らしく終始ジプシー音楽が鳴り響きハイテンションで滑稽な作りの騒がしい映画だが、この騒がしさが効果的でラストは感動する。彼の他の映画では煩く耳障りな音楽が、この映画では効果的に使用されていると感じた。

映画は三部から成り、第一部は第二次大戦中ナチスに進攻される中でレジスタンス活動で抵抗を続ける主人公マルコが友人のクロをレジスタンスに引き入れ、爆撃やナチスを避けるためマルコがクロや一族を自身が所有する広大な地下室(アンダーグラウンド)に避難させ武器の製造をさせるようになる。その後、地上の世界では戦争が終り、マルコは地下活動の英雄として旧ユーゴ大統領で建国の父チトーの側近に抜擢されるまでを描く。
第二部では地下に住む連中は終戦を知らされずひたすら武器を作り続け、マルコはその武器を横流しして巨万の富を手に入れる。しかし、ふとしたことで地下の住民達が騙されていることに気付いたので、マルコは地下室を爆破し、地上でもチトー大統領の死去に伴ってユーゴスラビアは再び混乱に陥り戦場になっていく。
そして、最後の第三部で、内戦のゲリラと武器交渉をしていたマルコが過去の清算をされ、地下室で昔の仲間達と再会する。。。

と書くと判り易く思えるが、映画は終始ジプシー音楽が鳴り響き、ドタバタ騒ぎをしているのでストーリーがあるとは思えない。一度観ただけでは全体の流れを掴むのは困難かもしれない。本当に音楽は煩くて、最初から最後までクライマックスでちんどん屋が騒ぎ続け、ドリフのドタバタをずっと見せられているかのような気になってくる。
このドタバタさはエミール・クストリッツァの次作であるコメディタッチのナンセンス映画「黒猫・白猫」で更にパワーアップして個人的に苦手領域まで到達するが、この映画ではこのドタバタの狂気をユーゴの幸せと現実の落差を描く重要アイテムにしている。

あまりにも能天気かつ馬鹿馬鹿しく混乱を描いているので、途中までは哀しみや苦悩の感覚が違うのかと思ってしまう。「トータルリコール」や「ロボコップ」などの変態的カルト映画を作ったバーホーベン監督ですら、祖国の戦争中を描いた作品「女王陛下の戦士」はシリアスかつストレートに苦悩や悲しみを描いているので、この監督は自分が生まれ育った国のことをちゃかしているのかと思ってしまうのだ。

しかし、この明るくにぎやかな音楽は途中で終ることで、無音がズシンと響く。

音楽が止んで沈黙後に訪れる映像は暗く重々しい。同じ登場人物が出ているのに、画面から硝煙の匂いが漂い、登場人物の疲れまで感じてしまう。ああ、そうか!彼等は明るい音楽が生活の一部で、騒々しく踊り暮らす日々が理想であるジプシーの末裔なので、音のない日々は地獄なんだ!とようやくわかると現実の重みがぐっと迫ってくる。

仲間を地下に閉じ込め武器を作らせ続けるという破天荒な設定だが、これは地上で起きていることとシンクロしていると思う。表面的に平和に見えても、水面下では内戦の準備になる武器を作っているのだ。そして、地下生活が終るとき、地上は再び戦火に襲われる。地下の異常世界と地上では、結局起きていることは同じなのだ。戦後といっても何も変わっていなかったという虚しさに気付く。

そして、裏切りの代償を負った結果、ラストでまた明るい音楽が鳴り響くが、これがとても悲しい。

分断された陸地に家を建てたいとか幸せに暮らしたいという台詞が明るく流れるが、まがまがしいジプシー音楽の中では空虚に響くのだ。

能天気な踊りや騒がしい音楽は、彼らにとっては平和で穏やかな日々の象徴だと気付くと、この映画への理解と共感が一気に高まった。

非常に独特な作りだけど、この国が抱えてきた問題と住む人々の苦悩は、監督からしっかり受け取ることが出来たと思う。