ケンシューイ

アンダーグラウンドのケンシューイのレビュー・感想・評価

アンダーグラウンド(1995年製作の映画)
5.0
「この物語に終わりはない」と言っている通り、この作品以降も情勢は変動し続けている。1999年、コソボ紛争に対してNATOが再び空爆を行なった際に、当時Jリーグ名古屋グランパスに所属していたストイコビッチ選手がユニフォームの下に着たシャツに「NATO STOP STRIKES」と書かれたメッセージをゴールパフォーマンスで見せたことが印象的に残ってる。自分の生まれた国が消滅するってどんな気持ちなんだろう。憂い、悲しみがあるにもかかわらず、喜び、楽しみを捨ててないこの狂騒には凄まじいものがあった。何度観ても体力を消耗させられる。


《歴史メモ》

ユーゴ=南、スラヴィア=スラヴ人の土地。slavは本来「言語」の意味だが、中世ヨーロッパでスラヴ人が奴隷にされていたことから英語のslaveが派生したらしい。スラブ人っていう一つの民族が存在してるわけじゃなくて、言語上のつながりでしかない大民族集団。そのうちのバルカン半島に居住していたのが南スラブ人=セルビア人、クロアチア人、スロベニア人など。特にセルビア人とクロアチア人とは仲が悪く対立関係にあった。
そんなバラバラな人たちなのにスラヴ諸民族の統一を目指した汎スラヴ主義を掲げてロシア人(東スラブ人)が南下政策をしてきたり、ゲルマン民族の勢力拡大を主張する汎ゲルマン主義を掲げてドイツがバルカン地方のドイツ人居住地域も併合しようとしたり、一方では汎スラヴ主義から分岐して全ての南スラブ人による連邦国家を目指した大セルビア主義があったりと様々な要素が複雑に絡み合う中でユーゴスラヴィアは結合したり分離したりの歴史を繰り返していった。
1914年、大セルビア主義を掲げたテロ組織の黒手組がオーストリア=ハンガリー帝国(ゲルマン民族)の皇太子フランツ・フェルディナントを暗殺したことがきっかけで第一次世界大戦が開始。1918年、大戦は終了しベルサイユ講和条約で民族自決の原則が認められ、セルブ=クロアート=スロヴェーン王国として独立。クロアチア人はセルビア人主導の政府に反発したが、1929年に国王アレクサンダルが独裁制を布告してユーゴスラヴィア王国と改称。しかし第二次世界大戦が勃発すると、1941年ナチス・ドイツはバルカン侵攻を開始し、首都ベオグラードを空爆。国王はロンドンへ亡命し、国土は枢軸国に占領された。この窮地を救ったのがティトー。彼が率いる共産党によって組織されたパルティザンはナチス及びファシストとのゲリラ戦で抵抗した。ドイツの降伏で大戦は終結し、ティトーのもとでユーゴスラヴィア連邦人民共和国が発足。東側に属しながらもソ連型とは違って自主管理社会主義と非同盟政策という独自路線を進み、国名はユーゴスラヴィア社会主義連邦共和国に変更。冷戦下においてユーゴスラヴィアは中立の立場をとることになった。
1980年にティトーが死去すると、連邦内諸民族の自立独立の動きが強まる。大セルビア主義を掲げるミロシェビッチが大統領となり、コソボ自治州の併合を強行しようとすると、1990年にコソボがそれに反発して独立宣言し、ユーゴスラヴィアは内戦状態となる。1991年、スロベニアが十日間戦争で独立を達成し、その後にマケドニアの独立も続き、次いでクロアチアは激しいクロアチア紛争を経て独立を達成、セルビアとモンテネグロは改めてユーゴスラヴィア連邦を発足。1992年、ボスニア=ヘルツェゴビナも独立宣言し史上最悪のボスニア紛争へ突入。その後のコソボ紛争もあり内戦状態は泥沼化。1995年、NATO空軍がセルビア人勢力に対する大規模な空爆を実施して、ようやく停戦。ユーゴスラヴィアは事実上の解体となった。