櫻イミト

ピンキーの櫻イミトのレビュー・感想・評価

ピンキー(1949年製作の映画)
3.8
ジョン・フォード監督の降板を受けエリア・カザン監督が完成させた社会派映画。差別問題をテーマに生まれつき肌の白い黒人女性を描く。撮影は「荒野の決闘」(1946)のジョセフ・マクドナルド。音楽はオスカー9度受賞のアルフレッド・ニューマン。

生まれつき肌が白い黒人女性ピンキー(ジーン・クレイン)が北部の看護学校を卒業し祖母(エセル・ウォーターズ)の住む南部に里帰りする。ピンキーは北部の白人医師トーマスからプロポーズを受けていたが、黒人であることを隠し続けていた。祖母はピンキーに病気で弱っているお屋敷の女主人ミス・エム(エセル・バリモア)の世話をさせる。子どもの頃からミス・エムに反感を抱いていたピンキーだったが、看護を続ける中で二人は打ち解け合って行く。そんな矢先、ミス・エムが「財産をピンキーに譲る」との遺言を残して亡くなってしまう。。。

混血で肌が白い黒人女性は、10年後のカサヴェデス監督のデビュー作「アメリカの影」(1959)でも描かれていた。おそらく本作が同設定の先駆と思われる。

ピンキーに最初は丁寧に接していたのが黒人の出自だと知ったとたんに乱暴になる警察官。出自による手のひら返しの対応は日本での部落差別や在日朝鮮人差別と同様で、有色人種差別以上に人間の内面的な問題を表出している。裁判では白人のフリをした卑怯者の様に扱われて、差別される悲しみよりも自分とは何者なのかというアイデンティティ・クライシスに落ち込んでしまう。悩めるピンキーはずっと表情が硬く、終盤まで重苦しいムードが続く。だからこそ悩みぬいた末に最後に導き出した答えと確信に満ちた表情がとても尊く感じられた。

メロドラマに走らずリアルな問題提起を貫徹したカザン監督の演出に感心。それを支えたのがフィルム・ノワールの名匠ジョセフ・マクドナルドの陰影の強い撮影で、ピンキーの引き裂かれそうな内面を顔に落ちる影で巧みに映像化していた。ピンキーがたびたび柱に寄りかかる繊細な演出も秀逸。さらに、エセル・ウォーターズとエセル・バリモア(偶然に名前が一緒)の、多くは語らない重厚な存在感も映画に深みを与えていた。

カザン監督は、ユダヤ人問題を描いた初の“問題提起作品”「紳士協定」(1947)、免罪事件を描いた「影なき殺人」(1947)に続く連続三本目の社会派映画である本作を成功させ評価を高めることになった。差別問題に女性のアイデンティティと自立も提起されていて見応えのある一本だった。

※フォード監督は本作を降板し兵隊賛美映画「ウイリーが凱旋する時」(1950)、旅もの西部劇「幌馬車」(1950)を撮る。同年、赤狩り旋風で揉めたディレクター・ギルドの席で、最長老としての有名な発言「私の名はジョン・フォード、西部劇を作っている」からの体制派セシル・B・デミル糾弾で株を上げる。一方、カザン監督は「欲望という名の電車」(1951)など名作を連発していくが、1952年に赤狩りの司法取引をして業界内で大きく株を落とすことになる。
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