この映画がそもそも伝えたいのは現在の日本の刑事司法制度及び、まだ犯罪を犯したと決まってない人に対しての人権を無視した扱い方であり、決して痴漢冤罪怖い!ということではないはず。
それなのにレビューにはそういった面が多く見られるし、痴漢といえば冤罪という間違った図式を語られるうえでこの映画のタイトルは必ずといっていいほど引き合いに出される。
それは、この映画が無実の男性を主人公とし、彼のみの視点から描かれているから。
女子中学生からしてみれば、何回も痴漢被害にあい、大人に訴えても現行犯じゃないから今更いってもムダ、といったことがあった上で必死になって捕まえた犯人が、のらりくらりと罪を逃れようとしている、といった状況なのではないだろうか。
もちろん、映画内では女子中学生はおそらく実際に痴漢を受けたのだろう描写だったし、なにより主人公「被害者やそのご家族も苦しんだだろう」と配慮を見せている。
しかし、映画を実際に観ていない人までもがこのタイトルを知っているという状況まで広まったせいで、痴漢=冤罪おかしなイメージも広まってしまった。
そしてそうなったときに責められるのは、何故か被害者である女性だ。
本当に責めるべくは刑事司法であり、真犯人であることを日本社会は忘れがちであり、二次被害にも繋がっている。