Jeffrey

この素晴らしき世界のJeffreyのレビュー・感想・評価

この素晴らしき世界(2000年製作の映画)
4.0
「この素晴らしき世界」

〜最初に一言、2000年代に入ったチェコ映画の傑作にして従来のシリアスなテーマを排除した悲喜劇な戦争映画、日本から遠く離れたチェコの物語にここまで笑って感動できるのも滅多にない、心温まる一本だ〜

冒頭、1937、年第二次世界対戦下のある夫婦の物語。逃亡したユダヤ人の青年、匿う夫婦、隠し部屋、豚肉の始末、危機一髪、唯一の希望、男子誕生、レジスタンスの反攻、ナチス信奉者。今、人間一人一人の尊厳が語られる…本作はヤン・フジェベイク監督が2000年に撮った映画で、VHSで遥か昔に鑑賞したのだが、この度チェコ映画特集をYouTubeでやる際に、廃盤のDVDを購入して再鑑賞したがやはり傑作である。この作品好きすぎて当時パンフレットを購入したことを覚えている。彼の作品は後に数本あるが、ほとんど日本に入ってこない幻(日本において)の映画だらけである。チェコ映画と言うこともあるのだが…残念だ。

この作品に関しては あるチェコ・ライオン賞の作品賞・監督賞・脚本賞を受賞したほかに第73回アカデミー賞外国語映画賞ノミネートされたほどの出来具合である。本作はチェコがナチス支配から解放されるまでの厳しい歳月、人々が生き抜いていく姿を笑いと涙を交えて描いた傑作で、戦争の愚かさを鋭く捉え、敵、味方を隔てることなく、人間の優しさや慈悲深さを前面に押し出した感動作である。日本では2002年に全国劇場公開されている。

さて、物語は第二次世界大戦下、戦場から遠く離れたチェコの小さな町にもナチスの影が忍び寄る。ある日、子宝に恵まれない夫婦ヨセフとマリエは収容所から逃げてきたユダヤ人性にダヴィドをかくまうことになる。この家に出入りするナチス信奉者のホルストはマリエに恋をしていた。彼は隠し事をしているような夫婦の様子に疑いを持ち始める。彼らの運命は思わぬ方向へ…。

本作は冒頭に、美しい村の草原広がる道端に1台の車がやってくる。そこで3人の男が降りる。そこにはヨセフとホルストがいる。そして後にポーランド収容所から逃げる羽目になるユダヤ人青年ダヴィドの姿もある。皆は立ちしょんべんをしている。そして車が急発進し、慌ててホルストがその車を追いかける。カットは変わり1939年のヴィーネルの邸。玄関前に馬車が止まっていて、荷台に家財が積まれている。2階のテラスに旅支度をして唖然と立っているその家の人々、ダヴィドの父がユダヤの帽子キッパをつけた頭に山高帽を被る。ヨセフの声が聞こえ、ダヴィドと肩を抱く。玄関ではホルストが家財を点検し、記録している。部屋に入ろうとしたダヴィド、ドイツ兵の姿に後ずさりし諦める。手に荷物を持ち家を出て行くヴィーネル家の人々。

続いて、ヨセフのアパートの前。マリエ(奥さん)が笑顔で馬車の到着を迎えている。荷台からトランクをおろすヨセフに近づき、小声で話すダヴィド。あちこちの建物に掲げられているナチスドイツのハーケンクロイツの旗の描写、ユダヤ人であることを表すダビデの星型のバッチを胸につけた男が、往来に立って記録をしている。リュックを背負ったユダヤ人の少年がその男の足許に座る。アパートの1階で外の様子を気にしているマリエの姿。続いて、ヨセフのアパートのテラスへ。胸にダビデの星のバッチをつけ、旅支度をしたヴィーネル家の人々にヨセフが包みを渡す。ダヴィドらと別れる。さよならと彼はいい、奥さんは残念だわと言う。おもむろにアパートを出て行くヴィーネル家の人々、お別れに来たシマチェック夫人が夫を呼ぶ。ここで物語は1943年に飛ぶ。

1943年、1人の青年が薄暗い街を逃げている。彼の名はダヴィド。偶然犬を追いかけてきた老人(顔見知り)に見つかり、ユダヤ人がここにいる助けてくれとナチスドイツの車に向かって老人が言う。その車はそのまま何も聞こえず去っていく。カメラはハーケンクロイツのナチスの旗越に静かにその路地を捉える。カットは変わり翌日。路地で子供たちが戯れている描写へと変わる。窓からこの作品の主人公ヨセフが覗き、クソガキども静かにならんのかと愚痴をこぼす。そこへ妻マリエが窓のカーテンを閉めに来て、クソなんて言葉を使わないでと言う。夫はソファーに寝転び、こんな時期に子供は生まないと言う。次から次えとよくこんなに子供を産むなと言う。

続いて、扉のチャイム音が鳴り響く。彼はナチス信奉者のホルストで、たびたびこの家を訪れるのだ。いろいろとこの夫婦によくしてくれているそうだが、イデオロギーの問題は対立しているようだ。彼はドイツ軍がモスクワを包囲してヒトラーがこの世界を破壊すると説明する(ティーカップとソーセージを使って)。続いて、先ほどポーランドから逃走した青年とヨセフが鉢合わせする。彼はダヴィドを見て驚く。そして夫婦は彼を自宅にかくまうことにする(ここでテーブルの席に座り食事をさせ会話をするがネタバレになるため伏せる)。

続いて、ダヴィドを車のトランクに入れ、とある場所へ向かうヨセフ。途中でドイツ軍の車が故障してしまい、1人のドイツ軍の兵士がヨセフに車を直してほしいと頼む。彼はトランクにいるユダヤ人の青年が彼に見つからないかドキドキしながら車を修理する。やがて車はなおりドイツ軍は去っていく。カットは変わり、ヨセフの家へと変わる。ダヴィドは地下室へと部屋を作られ、そこで寝泊まりすることになる。夫婦はくれぐれも音を立てずに、何かあったら扉を爪で引っ掻いて知らせてくれと言う。ダヴィドは寝床につく。

続いて、夫婦はユダヤ人青年を厄介者と感じており、2人はテーブルの席に座り、巨大な豚の丸焼きを目の前にし会話をする。排水溝から流れてくる夫婦の会話を聞くダヴィド、夫婦は子供を作りたがっている。カットは翌日、昨日の豚が鍋で調理されテーブルへ運ばれる描写で始まる。その悪臭に耐えかねて目を覚ますヨセフ、彼にも食わせてやれと言う。そこへ先日やってきたナチス信奉者のホルストがやってくる。彼は豚をー口味見する。そして席に座り、話をし始める。彼はユダヤ人から没収した陶器の置物を机に置く。そして3人で食事をする。

続いて、ホルストの息子がノックをする。3人はナチスだと思い慌てて食べていたものを全て布に包み隠し準備万端にして扉開けようとしたが息子だったため落胆する(安心している)。カットは変わり、夫婦がウサギをロープで縛り調理するために下ごしらえをしている(会話が続く)。ヨセフはナチスの仕事をしなくてはならない羽目になり、妻にこんな仕事はうんざりだと愚痴をこぼすが、かくまっている青年のこともあるし今はナチスに協力しなくてはダメだと言われる。マリエはダヴィドも一緒にテーブルを囲んで食事をしようと考えていたが、彼をかくまっている以上一切油断はできないとヨセフに断られ、彼女は地下室へと食事を持っていきダヴィドと会話をする。彼女はゲーテの本を渡すが、集中できないと彼に言われる。ダヴィドはほんの少しだけ生き延びられた妹の話をする。そして収容所の悲惨な事柄を説明する。カメラは彼をクローズアップする(会話の内容はネタバレになるため伏せる)。

翌日、ホルストとヨセフがドイツ人の所へとやっていく。そしてカットが変わり真夜中、2人はヨセフの家の前で立ち話をし別れるが、パイプを通して聴こえるフランス語(マリエがダヴィドに教わっている)が聞こえてきて、そこに耳を傾けるホルスト、ヨセフは私がいない時は2人で会うなと妻に言う。そして窓からヨセフは顔を覗かせ、ホルストにおやすみと言う。彼はその場を去る(誰かがいるとここで気づかれる)。翌朝、車に乗ってきたヨセフとホルストと昨日のドイツ人の男がヨセフの自宅へとやってくる。ダヴィドは気分がすぐれないマリエを看病している最中にやってきて、ゲシュタポだとホルストが笑いながらノックをしたのに気づき、慌てて隠れる。

自宅へ上る2人、マリエはヨセフに助けを求めるが、彼はなかなか彼女の部屋に行けず、代わりにマリエに好意を持っているホルストが部屋の中に入り扉を閉めて彼女の看病をする。彼はベッドの上から彼女を触ったりするが、彼女はベッドの中に隠れたダヴィドがバレないように必死に阻止する。やがてベッドの中にある手を引っ張り出しホルストがその手にキスするが、その手は彼女のではなく青年の手である。ホルストはまだそれに気づかず、扉を開けたヨセフがそのことに気づき何とかごまかす。 3人はゴリラの歌を歌いながら大暴れする。それが窓から路地に聞こえ住人が集まりみんなが聴き始める。

彼らは帰宅し、カメラは頭上ショットで彼女と青年を捉える。続いて、昨夜のドイツ人の男が自分の息子を兵士の格好させ敬礼させる場面へと変わる。そしてホルストとマリエがデートをしている描写が流れる。彼女はこんな事はよくないと彼に言うが、木陰でホルストは彼女をレイプしようとする。必死に抵抗して彼女はその場を立ち去る。彼女は捨て台詞で彼に妊娠していると言うが、ホルストは信じない。そのままカットは変わり、病院にいるヨセフが担当医師に原因はあなたにある、申し訳ないが子供は産めないと診断結果を言われる場面へと変わる。

続いて、病院から出てきたヨセフは近所に住む奥さんを見て、私は訳があってドイツ人(ナチス)と仕事をしている、私は立派なチェコ人だ誤解しないでくれと言うが、彼女はわからないわと言い、その場を立ち去る。帰宅したら彼はセーターを着てこの家から出ようとしているユダヤ人の青年ダヴィドと対面してイカれたか、君がここを去ってもセーターから足がつく。明日僕たちは殺されると言う。彼はどうせ生きられないと言う。続いて、ホルストの知り合いの男を部屋にかくまって欲しいといわれるが、妻はおめでただから無理と断る。ここでヨセフは初めて妊娠のことを知りびっくりする。ホルストは診断書をフィッシャー先生からもらうからなと強く彼女に言う。そして立ち去る。

続いて、妊娠についての夫婦の会話が映される。彼は自分との子供じゃないんじゃないかと疑う。だが妻はあなた以外の人と寝た事は無いわと言う。そしてヨセフは信じると言い、2人はベッドの上で抱き合う。だが、問題が発生し狼狽するヨセフ、診断書の結果でもし違かったら大変なことになると言う。2人は試行錯誤して何とか乗り越えようと頑張る。そしてナチスドイツ軍が街に現れて夫婦の家を家宅捜査しようとするが、ホルストが助ける。やがて、妻がお産になりてんやわんやになる…と簡単に説明するとこんな感じで、実に戦争とは何かを考えさせられる作風なのにも関わらず、決して重苦しい内容ではなく、コミカルに時にはシリアスに描いていき、テンポの良い展開が観客を非常に楽しませる2時間もない素晴らしい映画である。ぜひとも見て欲しいものだ。残酷な殺戮シーンで幕を閉じる映画が好きな人もいれば、新たな命の誕生で映画の幕を閉じる作品が好きな人もいる。この映画は後者の"命の誕生"で幕を下ろす素晴らしき映画である。コメディー映画が好きな人も楽しめるはずだ。

いゃ〜何年ぶりに見たんだろう、正直言ってサイズがビスタサイズでちょっとショックだったが、ほとんどVHSと画質が変わらない。この作品の画期的なところは、チェコとスロバキアが分断されて両方の国々に住むベテラン俳優が結集して、それぞれの持ち味を出してドラマの味わいを更に深めている点だ。個人的にこの作品ですごく好きなシーンがあって、ナチス信奉者のホルストが結局戦争が終わりナチスのスパイの豚として囚われている場面に遭遇したヨセフが、本来なら医者を必要としていた彼が、前に助けてもらった恩があるため、彼を医者と偽り牢屋から出すのだが、そこに思いっきりこの悲喜劇を通して人間一人ひとりの尊厳が、いかに強いものであるかを訴えたいと言う作品のテーマを思いっきり感じた場面である。結局、毛嫌いしていたホルストを最終的に医者になりすまし、自分の奥さんの出産に立ち会わせる奇想天外な考え方と狼狽しながら大団円を迎えていくラスト20分は本当に幸せに包まれる拍手喝采のワンシーンである。

この作品は大戦中の実話から生まれたとのことだが、戦争と言う異常な状況が、いかに普通の人々にもたらした運命を、また小さな過ちごときで大きな悲劇になるかを伝えている。更に、夫婦の部屋にでかでかと飾ってある聖母子やイエスキリストの絵やチェコ語読みで、ヨゼフとマリエの夫婦は、イエス誕生のヨセフとマリアを彷彿とさせるとのことである。さらにラストシーンに流れる音楽はJ・Sバッハの"マタイ受難曲"のアリア"神よ、憐れみたまえ"であるし、作品の原題の「私たちは共に助けあわねば」はホルストがモットーとしているマルコ伝からの有名な言葉"手を携えよ、さもなくば滅びん"から来ているそうだ。そうすると、なるほどなと思うシーンが多くあるし、セリフや他の登場人物の名前も興味深くなる(例えば、ダヴィドはダヴィデの星から来てそうだし…)

マリエを懐胎させるべく、彼女とユダヤ人青年をヨセフが寝室で結ばせるシーンはびっくりするし、信心深い彼女にとっては罪深きことで非常に嫌がっていたが、こうするしか方法がなく、あれよあれよと誘導されるダヴィドも嫌だろうし、信心深くないない夫にしてもかなりきつい試みだっただろう。こういった重苦しい寝室のシーンがクライマックスでは敵味方関係なしに一変して希望へと進んでいくのが本当に素晴らしいなと思う。このワンシーンがあるだけで、この映画の虜になるし、もちろんファンにもなってしまう。僕が求めている映画の要素がこの作品には多くあった。

ネタバレになるためあまり言いたくはないのだが、このクライマックスでヨセフが、ふと空を見上げながら安らぎに満ちた表情する場面は感動する。特に彼が瓦礫の間をベビーカーを押しながら歩くシークエンスで、命を落とした隣人たちがうっすらとテーブルで何かをしながら微笑んでこちらを見る幻想的なシーンもこの作品の根本的なテーマである人間の救済、犠牲者を痛みすべての加害者のために神の憐みを映していて非常に救われる。生まれてきた子供が男の子と言うのはわかるのだが、決して名前は明かされておらず、結局の所この子供が夫婦との間にできた子供なのかすらも明かされないまま終わる。ダヴィドが有力だが…。そこに不満があると言う人もいるかもしれないが、これは映画的なものでこれはこれでいいのだ。

それでもこの映画の中身を見るとかなりめんどくさく自分だったらかなり萎えてしまうなと言うものである。そもそも子供に恵まれない夫婦が戦争の中で職を失ってしまい、職場の部下だったナチスシンパのホルストが土産物を持ってきて夫婦に近寄り本当は好きではないのに訪問を断ることもできず、挙句の果てに向かいに住んでいる家族は子だくさんで毎日の路地をうろつく子供を見ていてうんざりするし、そんな時にポーランドの収容所を脱走したユダヤ人青年(しかも彼はヨセフのかつての上司の息子)が転がり込んできて命の危険までさらに増加していくと言う、こう考えるとかなりヘビーである。

ほぼクライマックスで臨月の妻のために慌てて医者を求めて街をさまようヨセフが連合軍司令部にたどり着くまでに、うつされるシークエンスで、ナチ協力者に暴行を加える人々の描写はやはりえげつないが、目には目を歯には歯をと言う具合にこうやってナチスの勢力が弱まるとナチスに加担していた者は末路に辿り着くんだなと…。余談だが、この作品の脚本を担当したヤルホフスキーがこの物語を小説にして出版してヒットさせ、資金を調達できたために、映画化が実現したとのことだ。


この作品を見るにあたって1933年のアドルフ・ヒトラーがドイツ帝国首相になる年から1945年のドイツ帝国崩壊と翌日5月9日のソ連軍がプラハを解放するまでの中身を下調べするのもいいかもしれない。特に42年6月10日に行われたナチスがプラハ郊外のリジツェ村大虐殺を行い、村を消滅させる事件などは知っておくべきだ。さて映画に話を戻すと、「夜のダイヤモンド」もそうだったが、自らを危険にさらしながらうまくことを運ぶことをする当時のナチスに怯えながら生きていた民族、例えばポーランド人やチェコ人もちろんユダヤ人もそうだが、この作品で特に人道主義的な固い信念を持っているわけではない夫婦が、収容所から逃げたダヴィドをかくまってしまえば、一気に自分たちの生命が絶たれる可能性がある中、義理人情で仕方なく匿うのは「夜のダイヤモンド」で逃げてきた青年2人が農婦を殺さずに出て行ったことにより、通報されてナチスの老人兵隊にとっ捕まってしまう下りがこの作品にもあってもおかしくは無かった…。このハラハラする厄介事を自ら引き受けてしまうこの民族たちは凄いなと映画を通して思う。

義理人情で言うのなら、ドイツ系チェコ人のホルストがうすうすこの家には隠まわれている人物がいると気づいていても、密告せずにそのまま好きになってしまっている上司の嫁マリエを思うがために、それを避けているところも基本的には旦那のヨセフが身内同士と言うこともあり、義理人情がここでも発生しているように見える。また、この映画は単純明快ではあるが、基本的にドイツ軍の占領下でユダヤ人をかくまったヨーロッパの人々のヒューマニズムを称える設定だが、やはりキーパーソンになるのはドイツ系チェコ人のホルストと言う存在だ。彼がいることによって従来の映画とは違う複雑さが誕生する。

そうするとなかなか面白いもので、基本的に曖昧な敵同士であるホルストとヨセフ夫婦が互いに殺し合いのような真似はせずに、隙間を見てうまく最悪な事態を避けているのが見てとれる。これがうまい生活の仕方なのかもしれない当時の(笑)。ちなみにラストに出てくる赤ちゃんはたまたま通り掛かった父親のベビーカーにいた子供を急遽初日に撮影したとの事である。いわば特別出演と言う所だろう。


最後に、どうして岩波ホールの作品を見てしまうと不意に涙が出てしまうのだろう。岩波ホールを知っている人なら誰もが思うことだと思う。岩波ホール、あの懐かしい映画館、岩波ホールと言うのは本当に素晴らしい作品を世に送ってくれた偉大な映画館だ。涙線はかなり硬い方だと自分では思っているが、気づいたときにはポツポツと涙が頬をたどる…。僕はそんな映画に出会いたくて今までに多くの作品を見てきている。
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