カタパルトスープレックス

女は二度生まれるのカタパルトスープレックスのレビュー・感想・評価

女は二度生まれる(1961年製作の映画)
3.0
ものすごくいい映画であると同時に、ものすごく惜しい映画です。惜しいのは音楽。池野成が担当するモダンジャズ風の音楽がとにかくバックで煩すぎます。ラストがすごくいい映画なのに、最後の最後まで鬱陶しい音楽がまとわりつくのが本当にマイナスポイント。音楽でイライラする。

それ以外は本当にいい映画です。舞台は売春防止法(1958年)が施行された後の東京。靖国神社近くの神楽坂にある芸者置屋です。成瀬巳喜男監督作品『流れる』(1956年)の舞台だった柳橋と比べて神楽坂は東京六花街に数えられる今でも残る花街です。料亭と芸妓からなる東京神楽坂組合もまだあります。

主人公は若尾文子演じる芸者の「小えん」です。三味線や踊りなどの芸はできないので、お酌とその後の客とのお泊まりで稼ぐ芸者です。セックス産業でコールガール的な芸者遊びが一番上、次がトルコ風呂(現在のソープランド)で、一番下が赤線の「チョンの間」でした。つまり、若尾文子が演じる「小えん」は芸者の中でも体で客を取る高級コールガールですね(もちろん、今の芸姑さんは違いますよ)。本作の舞台では売春防止法が施行したばかりで、いろいろ気を使わなければいけない場面がリアルです。

若尾文子は増村保造監督作品のイメージが強いのですが、川島雄三監督は少ないながらも若尾文子の魅力を最大限に引き出した作品を世に送り出し、本作『女は二度生まれる』と翌年の『しとやかな獣』は特に評価が高いです。特に本作は「若尾文子を女にしてみせる」と川島雄三が大映の首脳陣に大見えを切ったとか、切らなかったとか。

さて、本作における若尾文子はとにかく恋多き女性です。「恋」ではなく「恋の予感」程度のものなのですが。ああ、この人と結ばれたらどうなるんだろう。そんな予感。たぶん、幸せになりたいだけで特に何も考えずに行動していしまいます。最終的には山村聡が演じる一級建築士の筒井の妾となります。他にもフランキー堺を含め、結ばれてたかもしれない相手がたくさんいたんですけどね。フランキー堺は「オレは自分の金では赤線がせいぜいだ」と言いますが、若尾文子はそんなことを気にしないんですよ。

タイトルの『女は二度生まれる』はいろんな意味にとれます。ボクは最後のシーンがまさに二度生まれる瞬間なんだろうなと思いました。それくらい大切なシーンだから、あの煩い音楽が本当に残念でなりません。