ninjiro

憂国のninjiroのレビュー・感想・評価

憂国(1966年製作の映画)
2.8
全ての事柄は、美を形作る為に必要なモノ。
226、安保、国体への思想的アプローチですら、一連の美学を形作るファクターであって、三島の人物そのものではなかったのではないだろうか。
三島の生きた時代は、今振り返れば狂騒の時代であり、昨日の英雄は国賊となり、昨日の天国は地獄となるという、目まぐるしい社会風俗の価値観の転換が当たり前のように日々起こっていた。
そんな中で三島由紀夫は正にブレることを知らず、三島由紀夫として在り続けた。
それは信じるものが生身の自分でなく、自分の産みだした誰にも侵されない美学やルールそのものであったからではないか。
彼は自分のそうした、他人にとっては形を持たない美学やルールに、強い想いと行動ではっきりとした形を与えて世に示したかったのかも知れない。
本作は今般の映画としてのカテゴリーに当てはめて観るには適当ではない。
これは個人の思想・美学の強固たる提示であって、他に共感を求める為に些かもこれを曲げることもしなければ、甘え色気を出すこともない。
幸か不幸か、封印されたはずの本作が、ひょんなことから「商品」として現代の我々の目に曝され、エンターテイメントとして、又は怖いもの見たさで観ることを言外に想定されている状況は、果たして正常なことなのか。
少なくとも「映画」として観るなら、退屈の一言である。