andhyphen

ゆきゆきて、神軍のandhyphenのレビュー・感想・評価

ゆきゆきて、神軍(1987年製作の映画)
4.0
なんだかんだと近年毎年行われている「ゆきゆきて、神軍」の上映に今年も行きました。「夏の神軍祭り」、今年は「奥崎謙三生誕百周年」なんだそうです。ポスターも一新。ポスター上部に存在感溢れる奥崎シズミさん。
最初に観た時の感想から、久しぶりにアップデート。
「ゆきゆきて、神軍」の威力は間違いなく被写体たる奥崎謙三にある。原一男監督が奥崎謙三氏と初めて対面したとき、彼は7時間延々自分語りをしたそうである(映画を観ればさもありなん、と思えるエピソードである)。とにかく、自己を剥き出しにする男。
冒頭の結婚式のエピソードで、よりによって結婚式の挨拶で「前科三犯」の経歴と反体制を滔々と語る奥崎謙三。あのシーンに笑いが起こるというのは、わかる気がする。状況と喋っていることが合わなさ過ぎて可笑しいのである。
「正義の為の暴力」を肯定して、相手の都合みたいなものは全く見ずにひたすら詰める奥崎謙三。いきなり訪ねて行って、詰問して、ときには飛びかかる。「知らぬ存ぜぬは許しません」を体現している。
今回、4回目にして彼が「天罰」「神の法」を連呼することに気を留めた。彼は人間が決めた法の(彼が考える)理不尽さには従わぬ。彼のいう「神」が何かはよくわからない。むしろ奥崎謙三自身が神と化して過去の罪を暴き懺悔せよと突き進むのか。
処刑事件からカニバリズムまで、地獄の場に置いてきたかった筈の過去を暴き、裁こうとする奥崎。穏やかな暮らしは許さないとでもいう姿勢は、何度観ても「ゆきすぎだ」と私は思う。特に終盤のシーンで、「真実を語ること」と「真実は胸にしまっておくこと」が鋭く対立する。どちらも信念。
私は映画でしか奥崎謙三を知らないから(Wikipediaに書いてある見沢知廉親子とのエピソードは本当なのだろうか?まあありそうだが...)、生来の性格と、戦争と、そして傷害致死事件が合わさって彼を駆り立てた気がする。戦争が開けた穴と怒りは凄まじかったのだろう。奥崎が、戦死した同僚兵の墓の前に炊き立ての白米を供えて虚無の表情になるシーン、息子を亡くした母が歌う「岸壁の母」を聴き「ニューギニアに共に行こう」というシーン。あの静けさ。
原一男という人は奥崎謙三をある意味「引いて」撮っている。原監督自身と奥崎謙三氏にも様々な悶着があったようだけれど、映し出される映像は感情過多ではない。良い意味で情みたいなものがなく、乾いている。それがこの映画の根幹だと思う。
願わくば幻のニューギニア編が観たかったよな...
しかし日本映画なのに全然言ってることが聞き取れない部分が多々ある。英語字幕ありがたい...
andhyphen

andhyphen