ロベール・ブレッソン監督の初期長編作品。裕福な家庭から修道院に入った若き修道女の信仰と葛藤。初期作ということもあって以後のブレッソンの映画に見られるようなリアリズム性には乏しく、役者の演技も含めてあくまで古典的な演出で撮られている。どうやら本作の時点ではまだアマチュアは起用しておらず、プロの俳優を使っているらしい。
オールドスタイルの趣は強いものの、それでも修道院の内装などを捉えた端正な画面構図が要所要所で印象を残してくる。アンヌ・マリーを迎えに行く冒頭のシーンは絵面も相俟ってノワールめいた仄暗さがあって好き。登場人物の大半が修道女なので外見的に判別しづらいのは否めないとはいえ、白黒の修道服に身を包んだ彼女達が並ぶ絵面は均一な色彩の美しさに満ちている。
高尚な意志を持って修道院に入った上流家庭の女性が、その高潔さ故に修道女達の間で孤立していくジレンマ。世俗的な感情の行き交う共同体としての修道院、崇高な信仰心が半ば傲慢さと表裏一体のものとしてちらつくアンヌ・マリー。元受刑者であり彼女が気に掛け続けるテレーズとの軋轢も相俟って、救済と善行の狭間における葛藤を浮き彫りにする。一筋縄では行かぬ混濁の有り様は、何処か文学的な趣を本作に与えている。
やがてアンヌ・マリーは共同体から放逐されたことにより、巡り巡って“殉教する聖人”の道を歩むことになる。矛盾と苦悩が絡み合った果ての自己犠牲に見出される聖道。“修道からの追放”によって最終的に“清廉な生き様”を体現するという捻れた構図、信仰や善性の容易な咀嚼を阻む多層性がある。そうしてアンヌ・マリーが救うことを望み続けていたテレーズもまた贖罪=放逐の道へと進む。荘厳な葬式からシームレスにあの結末で終わるラストシーン、手元を映すカメラワークも相俟って印象深い。