KnightsofOdessa

太陽の年のKnightsofOdessaのレビュー・感想・評価

太陽の年(1984年製作の映画)
3.5
[戦後ポーランドに生きたもう一人のマリア・ブラウン] 70点

このラストは今年ベスト級かも。"モラルの不安"と呼ばれる社会主義政権批判を展開したポーランド映画のジャンルの中で、それまでも同じ様な映画を作っていたアンジェイ・ワイダと共に有名になったのがクシシュトフ・ザヌーシである。日本でもデビュー作『結晶の構造』が公開されて以降、意外にもコンスタントに紹介されているのだ。本作品は第41回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞している。

1946年の戦後間もないポーランド。戦争未亡人のエミリアは足の悪い母親を養っていた。ある日、廃車で絵を書いているとアメリカ人兵士のノーマンに声を掛けられる。戦犯裁判の調査のためにドイツからポーランドにやって来たというのだ。どんな仕事かは明かされないが、基本暇そうだ。ノーマンはエミリアの家を探し当て、絵の具をプレゼントする。二人は全く言葉が通じないが、身振り手振りで会話して、意思疎通を図ろうとする。

翌日、母娘は衝撃的なカツアゲにあう。白昼堂々男たちが入ってきて、部屋中を荒らした挙げ句、なけなしのお金を巻き上げていく。戦争によって男が激減した戦敗国では、女たちしかいない家などざらにあっただろう。こんなのが日常的な風景だったのだろうか。向かいの部屋に暮らす娼婦も十分な金額をもらえていない。彼女たちは只管に搾取され続けるのだ。ノーマンも絶句して、為す術もない。

今度はノーマンが通訳を連れて彼女の家にやってくる。通訳は正直どうでもいいと思っているので、やっつけ仕事だが、それを通り越してエミリアとノーマンが笑い合うシーンは言葉を超えた感情の繋がりを良く示していた。その後も言語の溝が埋まることはないが、事あるごとにノーマンが助けることで、遂に二人は結婚するまで話が進む。

しかし、夫の法的な死亡が確認されないと重婚になってしまい、母親は病気が悪化してきたのだ。母はエミリアの幸せを願いながら亡くなり、エミリアは安易な亡命が問題を解決するとは限らないと悟り、ノーマンと別れる。

ザヌーシ映画の常連であるズビグニエフ・ザパシエヴィッツがメフィストフェレスのようにところどころ登場するポーランド人を演じるが、正直彼の役割はよく分からない。ザヌーシは五本目だが、必ず出てくるので"またか"という感じである。

ラストのダンスシーンは荘厳である。グランドキャニオンを背景に二人が別れのダンスを踊るのだ。訪れることのなかった未来と戦争で負った傷の瘡蓋が取れるまでの長い期間を圧縮した魔術的な締めくくりだった。

物語は結構形式的で、ポーランドじゃなくても成立する物語だったのは残念だったが、あのラストを見ちゃうとそんなの吹っ飛んじゃう。
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