まりぃくりすてぃ

妻の日の愛のかたみにのまりぃくりすてぃのレビュー・感想・評価

妻の日の愛のかたみに(1965年製作の映画)
2.2
ほほえましくスタートし、お涙への矢印を掲げつづけてくれた「つらいね。つらいね」の夫婦愛ドラマだが、各人物の見せ方に柔軟性がなさすぎる。

病状進んでも全然やつれていかない若尾文子さんは、最後の最後まで巧妙にスッピン拒否(アイメイクやめず)。嫁入り舟でだけは映えてたものの、元々さほど美人じゃない上に、表現力も映画女優としては二級。台本通りにギャラの分だけ気持ち込めて喋れば認められちゃう“TVドラマの助演者”クラスだから、台詞分以上の痛々しさがついぞ伴わない。
むしろ雪女の藤村志保さんに主役替わった方がまだ“病身らしいたおやかさ”は出たかも。でも、リアルな映画を作ろうとしてない監督の下じゃ、志保さんバージョンだってすぐ空回りしただろうね。

生硬で平板で女らしさ不足の短歌は一つとして情を揺さぶらず。
だけども、必ずしも台本ばかりがこの映画の戦犯なのじゃない。夫(本当に性格良さげな船越英二さん)は愛だけ、姑は薄情なだけ、舅は寛大なだけ、嫁友(志保)は明るく控えめなだけ、婿友は豪放で親身なだけ、という類型的すぎるキャラ設定は、確かに脚本家の仕業。でも、演出力&演技力でいくらでもリアルなニュアンスは加えていけたはず。人間ドラマの質的空間を広げていけたはず。
例えば、、、、嫁をこき使う姑の「これも洗っといてー。股引きは繕っといてー」という厳しい台詞も、声の出し方一つで〈イビリ〉にも〈期待が強いだけで悪気はない〉にも〈悪いわね~というイタワリ交じり〉にも〈明るく軽快な常識的信頼関係があるだけで、互いにまずまず心地よい〉にも持っていけたはずなのだ。
せっかく実話ネタをスクリーンに映すんだから隅から隅までリアリティーで満たす義務があったのに、老人たちも老けが進まないし、監督らはまったくね。。。 残念ながら泣けなさすぎ。

水準以下のこういう作品を観ると、映画はやっぱり1960年代以降も「進化」をひたすら続ける必要がありありありだったんだなとわかる。