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忘れられた人々のhorahukiのレビュー・感想・評価

忘れられた人々(1950年製作の映画)
4.2
『ザ・マミー』でイッサロペス監督がインスピレーションを得た作品のひとつとして挙げていたので見てみました。

冒頭はそれほど…といった感じだったのですが、夢のシーンで一気に引き込まれた。印象的なスローモーションが用いられており、ゆっくりジワジワと真綿で締め上げるような悪夢的映像がペドロ少年の心に巣食う感情を浮き彫りにしていく。ペドロに迫る母親の表情と与えられなかった肉のおぞましさ、そして何もかも奪っていくハイボの存在。わかりやすい罪悪感だけに留まらず、彼の心を支配している根深い「痛み」というものを表現した素晴らしいシーンだと感じました。

全員が同種だと思っていた子どもたちがハイボという悪童が感化院から帰ってくることでその抱える葛藤や日常生活での様々な事情が明らかになっていき、それぞれが似て非なる自身の人生を歩む「人」であるのだと気づかされ、どんどん前のめりで画面に夢中になった。ひとつの集団からスタートしたものが、それぞれ一人一人の個別の物語を紡ぎ出すという広がりを見せる脚本の巧みさに驚いた。

大人が子どもから大事なものを奪って行く。奪うつもりがなかったとしても巡り巡って最後は弱者に皺寄せが回ってくるわけだけど、その末端にいるのはやはり子ども。そして子どもも自身より弱いものを見つけ出し奪うという負の連鎖の遣る瀬無さ。

真面目に生きるということは社会規範の中に収まること。でも社会規範の中に収まることは社会規範の外にいるもの達に、自身の「弱さ」を露わにすることでもある。地に足がつけばその「地」が狙われ崩される。だから弱者である子どもたちは社会規範にとっての善になり「地」に根ざすことはできない。善になれば寝首を掻かれる。彼らの悪行は弱さや怯えの裏返しであり、大人や親からの庇護が得られないことが根底にある。そういった彼らの悪行から真に彼らが求めているもの、必要なものを炙り出していく物語はとても面白かった。

生まれる前に殺さなければならないという最後の言葉。本作を見ることでその言葉を全力で観客が否定することになるというわかりやすい答え合わせを用意してくれるのも良かった。

そして何より感じたのは、人間の心に深く切り込みその奥底を表現することにおいては、ホラーの親和性が極めて高いということ。最も端的に感情を浮き彫りにしたペドロの悪夢はホラー的表現以外の何ものでもないし、ペドロが巻き込まれていく心的牢獄の息苦しさは監督が意図してなかったとしても結果的にホラーの文脈に沿ったものになっている。

ブニュエルは今のところ4作しか見てないのですが、どれもホラーが根底にあるように感じました。めちゃくちゃ好き!
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