サマセット7

サウンド・オブ・ミュージックのサマセット7のレビュー・感想・評価

4.0
監督は「ウエストサイド物語」「スタートレック」のロバート・ワイズ。
主演は「メリーポピンズ」「引き裂かれたカーテン」のジュリー・アンドリュース。

1930年代のオーストリア・ザルツブルグ。
歌を愛する修道女見習いのマリア(アンドリュース)は、お転婆が過ぎて修道院に馴染めず、院長からある家庭の家庭教師として出向を勧められる。
向かった先のトラップ一家は、軍人のトラップ大佐が7人の子供たちを軍隊のように規律で管理する家庭であり、マリアを驚かせる。
マリアは得意の音楽を用いて子供たちと打ち解けようと奮闘する…。

実在のマリアがトラップファミリー合唱団物語として出版しベストセラーとなった自叙伝を下敷きに、大ヒットしたブロードウェイミュージカルを原作とするミュージカル映画の名作。
オールタイムベストランキング常連。
ミュージカル映画のトップ10に挙げられることの多い作品。
アカデミー賞5部門受賞。
世界的に大ヒットとなった。

舞台化、映画化を経て史実からはかなり大きな変更が加えられており、トラップ一家の名を借りたフィクションと見るのが妥当とされる。
特にマリアとトラップ大佐の人物造形やオーストリアとドイツの併合描写は史実と大きく異なるとされる。
ご当地オーストリアでは同じトラップ一家を描いた映画「菩提樹」が成功したこともあり、史実から遠い今作の評価は低いらしい。
後半ナチスや世相に関する描写があるが、歴史の勉強としては話半分にとらえて、純粋にミュージカル映画として楽しむが吉か。

今作の魅力は、ミュージカルとしての優れた作品構造、誰もが聞いたことのある名曲の数々、ブロードウェイで活躍したジュリー・アンドリュースをはじめとする俳優陣の歌唱の素晴らしさ、子供たちの可愛らしさ、美しい情景描写、シンプルかつ力強いメッセージ性にある。

今作では、「サウンドオブミュージック」「ドレミの歌」「エーデルワイス」「私のお気に入り」「ひとりぼっちの山羊飼い」「さようなら、ごきげんよう」などの「聴けばわかる」名曲がこれでもかと投入されている。
特に秀逸なのは、これらの名曲が歌われるシチュエーションである。今作では物語上の必要から歌唱が自然に行われるという構造となっている。
例えば、「ドレミの歌」は、マリアが子供たちに歌を教えるために歌う歌。
「私のお気に入り」は、雷を怖がる子供たちの気を逸らすためにマリアが歌う歌である。
歌好きのマリアが、子供たちやトラップ大佐との交流のために歌を使ってコミュニケーションをとる、というシチュエーションは実に自然である。
ミュージカル映画でありがちな、「歌唱やダンスが入ることの明らかな作り物感」が「映画という仮想現実への没入感を損なう」という弊害を、今作においては巧妙に回避している。

バリバリの舞台女優であるジュリー・アンドリュースを筆頭に、今作の歌唱はいずれも素晴らしい。クリストファー・プラマー演じるトラップ大佐の「エーデルワイス」の情感!!
しかし、今作を特に忘れ難くしているのは、7人の子供たちの可愛らしさだろう。
トラップ大佐の笛と共に子供たちが行進、整列する登場シーンはインパクト絶大で、マリアと共に観客も目を丸くする、映画史上に残る名シーン。
その他、有名なドレミの歌の合唱シーンのワクワクするような躍動感、「さようなら、ごきげんよう」の思わず目を細めてしまう愛らしさなど、枚挙のいとまがない。

オープニングの美しい高原の情景から始まり、今作の情景描写はどれも夢のように美しく、非現実的に思えるほどである。

今作のテーマは、歌うことの素晴らしさであり、歌唱による人間性の解放であろうか。
今作で描かれる修道院の生活、当初のトラップ家の重苦しい規律、マリアとトラップ大佐の家庭教師と結婚間近の雇い主という関係性、ナチスドイツによる抑圧的支配はいずれも人間性の抑圧のメタファーであり、マリアやトラップ一家は歌唱をもってこれらの抑圧から解放されて、内なる自己を解き放つ。
このテーマは、時に様々な抑圧やプレッシャーから自由でいられない全ての現代人に対する、前向きなメッセージでもある。

さすがに最近の映画に慣れ切った感覚からすると2時間半の上映時間は長いが、上で述べた歌唱を物語上の必然性をもって描くことの副作用かもしれない。

映画史上に燦然と輝くミュージカル映画の名作。
なお、ロバート・ワイズ監督は今作の4年前には「ウエストサイド物語」を公開しており、こちらもオールタイムベスト級のミュージカル作品。
2作のミュージカル映画で有名な巨匠だが、ボクシング映画やSFなど、意外に色々なジャンルの映画を撮っていて面白い。