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今年の恋(1962年製作の映画)
3.8
 高校生の山田光(田村正和)と相川一郎(石川竜二)は非常に仲が良く、いつもくっついてばかりいた。成績は二人ともよくない。一郎の家は銀座の“愛川”という料理屋で、父の一作(三遊亭円遊)は職人気質でお人好しであり、母のお紋(浪花千栄子)も亭主と同じ。だから一郎の親代わりは姉の美加子(岡田茉莉子)だ。彼女は“愛川”の看板娘。ふるほどの縁談に耳もかさず、弟の世話に一生懸命だ。美加子は成績不良の原因は友達が悪いんだと思いこんでいる。横浜にある光の家でも同様である。2つの家族の描写は平行に描写される。山田光の家は典型的なブルジョワの家庭であり、母親代わりの東山千栄子の世話焼きぶりが非常にユーモラスに効いている。兄は大学院に通う優等生だが、弟は彼のようになかなか勉学に励もうとしない。阪東妻三郎一家を好む木下監督は、前作『永遠の人』同様に阪東妻三郎の三男である田村正和をここでも重要な役どころに起用しているが、その演技はどこか幼く、たどたどしい。

 山田家と相川家を結びつける重要なツールとして、電話が繰り返し出て来る。電話が日本で一般家庭に普及したのは主に1970年代になってからであり、この物語の年号である1961年には、一部のブロジョワ家庭にしか出回っていなかった希少な家電であった。21世紀の今で言えば映画の中に映り込んだ携帯電話が非常に目障りに見えるように、この時代の電話も同様であったろう。彼らは執拗に電話機を駆使し、居留守や嘘やアリバイや罵り合いを展開する。時には家族の危機にこの電話の存在が欠かせない家電となり、物語を前へ進めていく原動力となる。痛快なのは、吉田輝雄と岡田茉莉子の出会いの場面である。料亭の二階、喧騒を抜けたところで彼らの出会いは女性を介して繰り広げられる。岡田茉莉子は山田の姓に疑問を持ちつつも、最初は間違いじゃないかとあまり気に留めていない。それが実は弟同士が無二の親友だったと知ったせいで、途端に2人は慌てふためく。息子の家出から唐突に向かう熱海行きまでの道中を、車で追いかける吉田輝雄と岡田茉莉子の描写がいちいち素晴らしい。

 料亭の時よりも率直に、それぞれの思いを伝えることになる2人は、様々な迂回や遠回りをしながら、やがて熱海へは行かないことを決断する。岡田茉莉子は最初、助手席ではなく後ろの席に座り、随分よそよそしい雰囲気を讃えているものの、やがて吉田輝雄の兄としての理性的な振る舞いにほだされ、助手席へと座る。カメラは車の前方に並列に座る2人のショットを撮るものの、肝心の2人の話し声は我々にはまったく聞こえてこない。ここに来て映画は、いきなりロード・ムーヴィーの様相を呈し、カメラは突然物語の性急なテンポに呼応し始める。この性急なテンポというのは、今作のカメラマンである成島東一郎に負うところが大きい。初期の吉田喜重作品をはじめ、大島渚や篠田正浩など松竹ヌーヴェルヴァーグについた60年代の名カメラマンである成島東一郎が生み出した独特な構図とリズムは、木下恵介というあまりにもリズムを持たない監督の作品でも炸裂している。
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