ポルトガル、リスボンのスラム街、部屋で麻薬に埋もれているヴァンダとその周りでは解体が進み、常に工事の音が鳴り響く。野菜を売り暮らす日々を切り取りつなげたような、ドキュメンタリーとフィクションが行きかう不思議な距離感を暗い映像の中で体験することとなる。
暗いヴァンダの部屋とその周辺を暗い照明の中に浮かび上がる光と、その角度や構図により切り取られたような映像を積み重ね、窮屈感のある映像の中の微かな光を堪能する。
長回し中心で、特にそこに物語が存在するわけでも、インタビューが交わる訳でもない。敢えてカメラを意識していないような、ドキュメンタリーとフィクションが行きかう中で、観客もその場にいるような、そうして濃密すぎる長時間にわたる映像を見せられる。個人的にはヴァンダと同じように、家に引きこもり何度も停止ボタンを押しながら鑑賞した。鑑賞したというより流し見したに近い。と言ってもヴァンダと同じ環境下における訳ではない。だたなんとなく今作を眺めていたのだ。それでも時折引き込まれるシーンに出くわす。
色彩の取り方においては惹かれるショットが山ほどある。特に暗闇の中に浮かぶ光の置き方は絶品だ。暗いヴァンダの部屋一つにおいても、時間帯、ほかの人が入ってくることでの配置、鏡を使っての見せ方、光の絶妙な当たり具合、暗闇の中に小さなテレビが青白く浮かぶ、ろうそくの光、たき火の光、何でもない日常にあふれてる物が光の一部として色を持ち、絶大な効果を表す。
それは同じ部屋の中、同じ日々の中でも確実に日々は流れており、そうしてそこには少なからずとも何かしらの光があることをたたきつけてくるようだ。外では解体作業がどんどん進み、暗い映像の中に時折、その光が全面に映る。それは外の光、空の明るさである。ほんの数秒のその映像に心が解放される思いがする。縮こまった狭く汚れきった部屋の中で閉鎖的に、観客も閉じ込められる。そうすることで、自分の日々の明るさがまばゆさに感じ、自分の住んでる世界に感謝の気持ちが生まれる。
これほど見るのが苦しいと思った作品はない。
これほど何度も停止ボタンを押した作品もない。
手にするまでにも非常に時間がかかった。偶然のいたずらで私の手元に届き、それを見始めるのにも、見終わるのにも時間がかかった。
良い意味でこんなに嫌な作品はない。
映画を見るということで、疲労感をここまで感じたのは初めてだ。
それだけインパクトは高く、考えればいくらでも解釈が広がる。
結局見終わった後の疲労とともに、脳裏に残るものも大きい。
映画を見るという試練を味わった。
そうしてそれ以上の苦難を重ねて作り上げたであろう今作に、出会えてよかったと思える。映画を見る姿勢というものを改めて考えさせれた。