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悲しみは空の彼方にのditaのレビュー・感想・評価

悲しみは空の彼方に(1959年製作の映画)
5.0
自宅4

※以下長々と書いていますが、ことばにならない思いを無理やりことばにしただけなので要約すると「サークの映画はすばらしい」で済む話です。お時間のない方はそれだけでも覚えて帰っていただければ幸いです。

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愛しているとどれだけ言っても伝わらない愛がある。愛されているとどんなにわかっていても応えられない愛がある。

この映画の愛が一方通行なのは、役割から役割への愛だからだ。母から娘へ、男から女へ。あなたのためだと言われても、お互いにその役を演じている限りどんな愛も届かない。ただひとり、母の役割を捨て他人として振る舞った彼女の愛だけが娘に届き、「ママ…」という娘のほんとうの声は母には届かなかった。

差別などないとどれだけ言っても存在する壁がある。差別されないようどんなに踏ん張っても壊れてしまう壁がある。

わたしが差別したことがある?と声高に言う彼女の家の使用人はみな非白人だった。時代、社会、そうあるべきという刷り込み。自らの肌の色を嫌悪し白人として生きる決意をしても、時代、社会がそれを許さなかった。

マイノリティとして生きた人生の最期にはじめて自らの誇りを示すことを選んだ彼女。死してはじめてわかるその人生は、わたしたちの視線がローラと同じだったと気付かせる。ラストシーン、演技に飲み込まれた人生には虚構だけが残り、演技をしても自らを失わなかった人生には愛だけが残った。

誰もが演技をしながら生きている。わたしだってそうだ。毎夜毎夜自分の演技に疲れ果て、過呼吸を起こし、虚構の社会、虚構の人生に悲鳴を上げながら眠りについている。

サークの映画には映画の夢がつまっていると思っていた。今作を観て、サークは映画の中の「人」に夢と希望を託したのだと思った。虚構の社会に絶望したからこそ、最後の望みとして「人」を魅力的に描き続けたのだと思った。望みは託された。これからどう生きるか、死ぬ時がいちばん幸せだと思える人生を送るかどうかはわたし次第だ。
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