カラン

あの夏、いちばん静かな海。のカランのレビュー・感想・評価

5.0
冒頭。

だいたいが海。いくらか空。。。音がない。

切り返してフロントガラス越しに濃いブルーの制服の男2人を映して、車の音がする。もう一度切り返して、今度はそれよりは明るいブルーのごみ収集車の先に海。エンジン音が遠ざかると、微かに違う音が。波の低音が。

サーフボードを拾った聾唖の青年と青年に寄りそう聾唖の彼女の物語冒頭の、茫洋とした青のグラデーションと、聞こえるべき波の不在というミニマルなシチュエーションの、いくぶんかそっけない長回しは、これから何が始まり、それをどう描くつもりなのかをきちんと開示しているし、いきなりの青い寡黙さが目がしらを熱くする。

青年(真木蔵人)は危なっかしい。耳が聞こえないから、他人の指示に気づかないし、仕事も首になってしまわないかと心配だ。書類もちゃんと書かない。身長は420cm、体重は2Kg。保護者はゴルバチョフ。ジャケ写にあるように彼女(大島弘子)は、ちゃんとしている。まっすぐに立つし、青年が海に入ると、砂を払って服をたたむ。青年の後ろをついていくことが多いが、時には前から走ってやって来ることもある。捨てられていた折れたボードを見つけたのは青年だが、波打ち際で揺れる孤独なボードを見つけるのは、彼女1人でなければならない。こういう言葉のない若者たちを、ストーリーとして描く北野武の演出は透徹したものだ。ミニマルとかシンプルとかというのは、素人的なものに堕しがちだが、音の演出を含めて、北野武は卓越した映画作品を撮ったのであった。砂浜には恋人がいて、仲間たちがいた。そのうち増えていった。そしてミカン女。やきもちか、青年がちゃんとしていないからか。別れと喪失の予兆が重なりだす。持ち主不在のサーフボードの孤独に寄り添うため。彼女がそこにいたり、いなかったり、存在と不在の引いては寄せるリズムを描くため。

久石譲の劇伴も面白い。『ラピュタ』か『トトロ』と、『海がきこえる』の中間のような感じで、音楽のラインはシンプルであり、反復して甘くなる前に消えて、またおしよせる。映画の最初はシンセサイザーで、途中アコースティックな音を前面に出して、明らかにジムノペディを思わせる展開もおり混ぜる。

そして、彼女がサーフボードに2人の写真をぺたっと貼り付けて海に流すと、劇伴はいっそう反復の展開をみせる。思いが募るが、言葉にならない。言葉がない若者たちのエモーションを、Z軸不在の横に運動するフラッシュバックと、久石譲の反復する律動とを一体化させて描出する。写真から始まるフラッシュバックだから、横運動にしたのだろう。あるいは、そもそも近いようで遠かった距離の位置関係の反復なのかも。また、奥行きがないのだから重なることができるし、いつか必ず出逢う運命の幅の表象なのかもしれない。

いずれにしても、表現できない想いを表現したのだ。写真的フラッシュバックと音楽の単調さで。喪失が浮きあがる。不思議と気持ちが沈まない。


滑稽な蛍光色のウェットスーツの男がサーフボードを抱えて、砂浜でしつこくずっこけるから、あぁ、そうそう、あの人が監督だったと思いだす。仕方がない、地がでやすいあの人はこの映画に出演していないのだから。

サーフィンの大会は、サーファー⇄青年の切り返しが不要に多く思えて、どうかなと感じた。

レンタルDVDは2ch。音質良し、画質良し。
カラン

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