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戦争と平和のryosukeのレビュー・感想・評価

戦争と平和(1919年製作の映画)
3.8
オープニングの人文字から既に多大な人手と手間が想像される。次第に、この"J’accuse"が大勢の兵士たちによる人文字である必然性が明らかになっていく。繰り返し中間字幕で表示される"J’accuse"のデザインが凝っていて良い。子供にフランス語を教えるシーンで、ついにドラマ内部にも文字として現れるが、これは悲惨な反復に帰結することになる。
序盤でバストトップが映っていたことに少し驚いた。勝手にサイレント期の倫理コードだとタブーだと思っていたが、別にそんなことないのか。あるいはアメリカ等とフランスでは違うのか。
あと、主人公が母に「太陽賛歌」を朗読するシーンで、母が亡くなった旨の字幕が出た直後に母親の目が動いていたのはちょっとびっくりした。
アベル・ガンスはヨーロッパのグリフィスと呼ばれたらしいが、時空間の連続性というより(そういう要素も勿論あるけど)素早いカットバックの繰り返しやフクロウ等のカットの挿入による象徴的な意味の付与も多くみられ、エイゼンシュテイン寄りな部分もあると感じた。
群衆描写はエイゼンシュテインやグリフィスと比べると若干迫力が劣るかなとは思った。
突如差し込まれる息を飲むほど美しい家族三人の水辺のショットは、これまでの展開とジャンの表情から、少し触ると粉々になってしまう脆い幸福の風景が放つ一瞬の光であることが明らかである。案の定、再度三人が水辺に終結する時には状況は一変している。
ぞろぞろと移動する兵士たちに、何度か予告されてきた踊るガイコツが二重露光で重ねられるショットも強烈。ただのガイコツの操り人形が映画ならより不気味になるというのはリュミエール兄弟「陽気なガイコツ」のアイデアであると思われるし、十字架が死者たちに突如変貌するトリック撮影はメリエス的であるし、まだまだ初期映画の匂いも感じられる。
自らも従軍したというアベル・ガンスが戦場で撮ってきたフッテージや、公開が第一次世界大戦終結の翌年であることによる生々しさもある。ラストの強烈な執念もまだ新鮮なものであったことが想像される。
やはりアベル・ガンスの代名詞であるフラッシュバックが見られ、衝撃のラストもある第三部が面白いので、第一部・第二部はもうちょっとギュッとして普通の上映時間にならなかったのかとは思わなくはない。まあ全く退屈はしなかったので問題はないんだけども。
メロドラマだったはずの物語は第三部に至り、言われなければ誰か分からないほど豹変したジャンと共に一気に転調しホラーのトーン、もっと言えばゾンビ映画へと変貌を遂げる。
大量の十字架が死者たちに変わり、生者のパレードと死者の行進は上下で対照される。彼らの死を無意味にはさせたくない、人々に忘れさせたくないという強い想いが映画内部に流入し、強烈な力技によって観客を圧倒する。
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