改名した三島こねこ

生きものの記録の改名した三島こねこのレビュー・感想・評価

生きものの記録(1955年製作の映画)
3.9
<概説>

家庭裁判所に舞いこんだ調停は、あまりに非現実的で異色なものだった。原水爆の恐怖に怯えるあまりブラジル移住を強行する家長。それは行きすぎた心配だと嗜める家族。異常なのはどちらなのか。世界的巨匠による反原水爆映画。

<感想>

1945年8月6日午前8時15分、広島へ原爆投下。
1945年8月9日午前11時2分、長崎へ原爆投下。

しかし10年後、原爆は落ちることはもはや非現実的。

このあまりに他人事な思考は否定したい一方で、否定しがたいところがあります。2020年現在に3.11が再度起きたらなんて心底の心配をしている人は、近隣では滅多に見ませんし。

自分が痛みを知らなければどうしたって対岸の火事は忘れてしまいます。それは経験ではなくて知識なのだから、知識は必然忘れてしまう。

ただそれ自体は悪いことではありません。

教科書の戦争の文字に怯えて枕を濡らすなんてのは、なかなかやってられることではない。程々に忘れて、程々に活用するのが、知識とのいい塩梅の距離感でしょう。

問題なのは身にならぬ知識を自身の経験と過信すること。

「原水爆は地球を滅ぼせる量あるんだ!」
「貴方のその心配はただただ無駄でしかない!」

この主張は一見正論であります。事実正論であります。


原水爆を経験したことのない世代にとっては。


しかし恐怖を脳裏に刻まれた、原水爆現役世代にコレをのたまう彼のなんと浅薄なことか。そしてそれを一面では正論と理解できてしまう観客もまた、なんと浅薄なことか。

知識のみでモノを語る次世代層への絶望。

これはついつい経験至上主義と捉えて「頑固で化石のような思考態度だな」と馬鹿にしがち。しかしこうも重大な議題に添えて問題提起されると、本当に凝り固まった思考をしているのはどちらなのか。

足元が覚束なくなって、作中人物と自分を重ねます。