海

デスプルーフ in グラインドハウスの海のレビュー・感想・評価

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2022キラキラのアイシャドウが視界の隅に海の見える窓つくるとき、夜っていう時間帯は絶対女の子(とお化粧をするそれ以外のみんな)の目から見たほうが眩しいし綺麗だし本物だよなって根拠のないこと思って無敵を感じるんだけど、どうしてかそのときの気持ちを思い出しました。テレビの小さい画面から波が溢れて部屋が爆ぜた、ような気がした。映画とB級映画とアメ車と女性の脚への愛については十分すぎるほど感じ取れたしスタンディングオベーション以外にわたしに出来ることは何もないので割愛したい。車より強かった拳のビクトリーがオーシャンビューのアイシャドウと並んだ、バイオレンスに屈しないバイオレンスに愛を込めてキスをしたい、絶望しない絶望は綺麗だ。
追記2020.10.13観たい観たいと思いながら先送りにし続け、本日ようやく再鑑賞。結末が分かってるせいかスタントマンマイクまで愛しく見えてきた(この気持ちこそ本当のアイシー・ホットだよね)し、ガールズトークの隅々まで楽しむことができました、女の子たちの「男なんかにこいつの良さが分かるわけないわ」「本当はこうしてマシンガントークしてる時間が一番最高なの」的な無敵感が最強すぎ涙。レザボア・ドッグスを観た後だと、女の集団と男の集団というある視点では対になってる2作なのかもと思ったり、そう考えるとタランティーノ監督はめちゃくちゃ女性をわかってらっしゃる男性なんだろうし、果てしない想像と憧れあるいは愛!ゆえの、行き着いた先の了知なんだろうな。めちゃめちゃ良い作品にめちゃめちゃ強くていい女が出ていて男や自分を侵害しようとする者と戦っているのならそれはもうわたしはフェミニズム映画だと思いたいしそれを「スラッシャーもアクションも楽しむための映画だからそんな高尚な思想に掛けるのはナンセンス」みたいな批判されるのもくだらないと思っている。(エイリアン然り。)わたしたちの属するこの社会は、つらい目に遭った際によく相手の気持ちや立場を想像すべきだと一度自分のつらさこそを考え直させようとするけれど(被害者側に強いられる客体化)そのほとんどが本当に無意味で何一つ解決へは導かない。苦しめられた方はその流れに乗ってしまったらもう二度と楽にはなれず、苦しみに慣れることを「楽」と呼ぶしかなくなるし、一方苦しめる方は絶対にそれを辞めないどころか誰かが止めなければ加速するばかりだ、黙ってれば傷つかないとか大嘘だ。裁判と泣き寝入りと痛みに見合わない金というものがあるだけでそこには反逆の欠片すらない、現実に反抗し声を上げるための物語がどんなに大切かわたしは知っている。ボンネットの上でめちゃめちゃになりながら遺言残そうとするゾーイ大好きです、女の子を映すときのカメラワークが全部良過ぎて永遠に観ていられそうだ、キスもセックスも一切無いのに観る者にそれを確実に越えてくるたかぶりを与えるこれ、わたしが本音で観たいセクシーな映画ってこういうのだと思いますこれ以上ない忍耐とその解放と屈するより抗う。女という生物に生まれてよかったと思わせてくれてありがとうございます映画。
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